10/22・本日・【中也忌】
本日、十月二十二日は、夭折の詩人。
中原中也/なかはらちゅうや、の、命日です。

明治40年(1907年・4月29日)~昭和12年(1937年・10月22日)
『ランボオ詩集』には感銘しました。
汚れつちまつた悲しみに・・・。
しかし、この中也の私生活は猟奇的と言っても過言では無い。
我儘と欲望と自堕落の権化・・・精神破綻。
中也の死後文壇には大きな悪影響が残りました。
北原白秋などが、最大の被害者でありましょう(笑)。
で、この詩が、私は、一番好きです。
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【カフェーにて】
酔客の、さわがしさのなか、
ギタアルのレコード鳴って、
今晩も、わたしはここで、
ちびちびと、飲み更かします
人々は、挨拶交はし、
杯の、やりとりをして、
秋寄する、この宵をしも
これはまあ、きらびやかなことです
わたくしは、しょんぼりして、
自然よりよいものは、さらにもないと、
悟りすましてひえびえと
ギタアルきいて、
身も世もあらぬ思ひして酒啜ります、
その酒に、秋風沁みて
それはもう結構なさびしさでございました
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このギタアルは、
ナイロン弦の、
クラシックギターでなくてはなりません、
悲しく、甘い音色、優しく、激しく、トレモロも・・・・、

中也の悲しみを背負い、ギタアルが、むせび泣きます(T_T)。
中也記念館→『中也記念館HP』
注:ギタアル=ギター説と和琴(わごん)の六絃琴(ろくげんきん)説とあります。
しかし、中也の詩のイメージから私がギターではないかと判断し、掲載しました。
他、 六絃琴は、ヴァイオルとも呼ばれました。
コメントの投稿
さえきサン、こんばんわ。
>こういうことが、文学的表現を極めるためには、必須条件のような気がして来るんですよね(笑)。
人徳者が美しい心の人が素晴らしい作品を創作するとは限らないと私も思います。
凡人?には見えないものが見えるのでしょうネ。
狂とも言えるべきものでしょうけど・・・。
>あの人もあの人もあの人もそうですし(笑)。
確かにそうですね。
破綻しています。
中には人間を止めたりして。
>そこまでの境地になろうとしてもなれない、やろうとしてもやれないド凡人の私は、酔っ払った時にちょいと悪ぶってみせるのが関の山です(笑)。
芸術に99%、常識?社会生活?が1%レベルが真の天才なのかもしれません。
神の領域へ行くための犠牲は大きいですね。
ま、私も凡人中の凡人、考えないことにしています(笑)。
No title
こういうことが、文学的表現を極めるためには、必須条件のような気がして来るんですよね(笑)。
あの人もあの人もあの人もそうですし(笑)。
そこまでの境地になろうとしてもなれない、やろうとしてもやれないド凡人の私は、酔っ払った時にちょいと悪ぶってみせるのが関の山です(笑)。