落花・・・止まらぬ。
生涯は一度落花はしきりなる/野見山朱鳥

野見山朱鳥はその年の春の桜を観ることは出来なかった。
火の隙間より花の世を見たる悔/野見山朱鳥

いのち得て光り飛びゆく落花かな/野見山朱鳥
城を出し落花一片いまもとぶ/山口誓子
朝寝して鏡中落花ひかり過ぐ/水原秋桜子
中空にとまらんとする落花かな/中村汀女
水に置く落花一片づつ白し/藤松遊子
しあはせを貰ふごとくに落花受く/中島伊智子
言葉など貧しくていい落花浴ぶ/山田弘子
西行眠る落花はげしき庵の奥/新関一杜
花に会ひ落花を浴びる別れかな/稲岡長
てのひらに落花とまらぬ月夜かな/渡辺水巴

今日は午後から雨。
風が少しずつ強くなって、明日は暴風雨。
桜は奇麗に無くなりますね残念。
別れ来て頬にとどまる落花かな/小栗釣月
林檎の花。
4月15日~七十二候・その15[虹始見/にじはじめてあらわる]
春の虹消ゆ赤ん坊が泣き出して/山崎ひさを

二十四節気の清明・末候、虹始見。
晩春、空気がますます潤ってくるので、美しい虹を見ることができます。
虹が虫偏なのは、空にかかる虹を大きな蛇と見たてたとの説があります。
本来、【虹】が、『夏の季語』 とされているのは、
夕立(夏の季語)の後にあらわれることが多い為、
夕立→虹と言う、パタ~ンから夏季に分類されたようです。
また、俳句で虹を詠む場合は、夏以外の虹には、
「春の虹」「秋の虹」「冬の虹」とする決まりになっています。
朝の虹は西の空に出て雨を呼び、夕方の虹は東に見えて晴れになるとか・・・。
春の虹は朧(春の季語)にて、淡く儚く優しい明日への道しるべの如し。
で、春の虹。

ペリカンのお客もペリカン春の虹/寺田良治
うすかりし春の虹なり消えにけり/五十嵐播水
フルートの音色軽やか春の虹/上野節子
初恋はいまだ錆びなし春の虹/丸井巴水
すぐ消ゆる勿来(なこそ)の海の春の虹/内海保子
春の虹来世は猫になる私/小栗釣月

注・勿来(なこそ)~福島県いわき市(勿来地区)、勿来関(なこそのせき)は、古より歌枕となっている関所の一つ。
散る桜・・・桜散る。
4/15・本日・【藤田湘子/ふじたしょうし】の命日です。
「教え魔」と言われていた湘子。
亡くなった月の二日の京都中央例会にも出席して、最後の創作と指導をしたと言う。
死ぬまで俳人であった、見習いたい。
つちふるや嫌な奴との生きくらべ
逢ひにゆく八十八夜の雨の坂
十月やみづの青菜の夕靄も
とろろなど食べ美しき夜とせん
蜥蜴出て遊びゐるのみ牛の視野
炎天にテントを組むは死にたるか
志ん生も文楽も間や軒忍
冬の街戞々[かつかつ]とゆき恋もなし
朝顔を蒔くべきところ猫通る
琴の音や片蔭に犬は睡りつつ
蓼紅しもののみごとに欺けば
受験期や少年犬をかなしめる
春夕好きな言葉を呼びあつめ
物音は一個にひとつ秋はじめ
湯豆腐や死後に褒められようと思ふ
ゆくゆくはわが名も消えて春の暮
私が近代の俳人で、とても尊敬する、藤田湘子の命日です。

1926年1月11日~2005年4月15日
中学在学中に水原秋桜子を知り、
「馬酔木」に投句、秋桜子に師事、
石田波郷に兄事。
後に、俳誌「鷹」を創刊・主宰。
風狂の俳人と称される、鬼才、中原道夫氏は・・・、藤田湘子を以下の様に評している。
「多作によって素材の幅が広がり、湘子俳句の底辺に流れる叙情性に加え、俳句本来の挨拶性、即興性、諧謔性を獲得することになった」
藤田の俳句入門書はいまでもバイブルである。
「俳句は意味ではない、リズムだ」、との、問題発言?も有名です。
「分からない字句があってもリズムさえあればいいのである。暗誦すること百遍、意はおのずから通じるのである」by山本夏彦
では、他の句も幾つか。
逢ひにゆく八十八夜の雨の坂
小説の発端汗の捨切符
雁ゆきてまた夕空をしたたらす
月下の猫ひらりと明日は寒からむ
口笛ひゆうとゴツホ死にたるは夏か
筍や雨粒ひとつふたつ百
揚羽より速し吉野の女学生
あめんぼと雨とあめんぼと雨と
枯山に鳥突きあたる夢の後
口論の真ん中にあり蠅叩
口で紐解けば日暮や西行忌
菊人形問答もなく崩さるる
藤田湘子の創刊・主宰した結社『鷹』は、
現在も盛んに活動されています、こちら→「鷹俳句会HP」
湘子曰く・・・。
周囲からいただく批評は大切。
それはありがたく受けとめるが、そればかり気にしていたら自分の俳句は求められない。
それより五十年百年後の俳句作者の誰かが、一句でも眼にとめてくれたら本望。