梅雨前の六月の風は特別。
五月と六月が行き交う朝。
*「須磨」
六月を奇麗な風の吹くことよ/正岡子規

梅雨前の六月の風は特別。

六月の森の匂ひを風が押す/青野れい子
六月や風の抱へしチェロケース/榎本慶子
六月の風に降りきし鳶の羽/山田美恵
六月や風にふくらむシャツを着て/三好康子

城下は雨が続き、アチコチに水溜まりだ。
私の居住地は高台なので問題は無い。
しかし、水捌けの悪いエリアではまるで小川のようだ(笑)。
越えると言うよりは渡るが正しい(笑)。
六月の淀みを風と渡りけり/小栗釣月

人魚来る六月の子規の海風/小栗釣月

*「須磨」
子規の句の、前書きの「須磨」とは、静養していた須磨保養院(サナトリウム)。
明治二十八年、子規が神戸に滞在した期間はわずか三ヶ月ほど。

早朝に、涼風を頬に感じた。
子規の句は、間違いなく朝の句だ。
涼やかな風に心を癒された子規。
その一陣の風を『奇麗』な、と、詠んだ。
生かされている実感の中で・・・。

須磨保養院を出た子規は松山に向かいます。
そして、親友の漱石と約二ヶ間の同居生活をすることになるのです。
そのお話は機会があれば・・・。
Juneサラとクリスティーナの名残風/小栗釣月
逝った五月を惜しみつつ。
五月の詩を、さえき氏のBlog、【酒とソラの日々 / Lazy Days of Liquor and the Skies】から二篇ご紹介します。
さえき氏の超訳と共にお楽しみください。
サラ・ティーズデールの詩→「May Wind / 五月の風」
クリスティーナ・ロセッティの詩→「May / 五月」
五月の挽歌サラ・ティーズデールの風/小栗釣月
逝った五月、そして迎える六月。
梅雨が来る前の風の清々しさの中で。
「友よ その答えは風に吹かれてる」
過ぎた風に置いてきた事は忘れてしまえ・・・。
そうすれば楽になるのになぁ。
六月一日~七十二候・その二十四[麦秋至(むぎのときいたる)]
うちわたすこの麦畑のゆたかなるさまをし見れば夏たけにけり/若山牧水
麦秋や自転車こぎて宣教師/永井芙美

二十四節気・第七・【小満】・末候、麦秋至。
麦の穂が実り、金色の穂をつけて収穫期を迎えた初夏の頃。
ゆえに、麦にとってのは、この時期が、モノの実る「秋」なのです。
麦穂を揺らしながら吹き渡る風を麦嵐、また降る雨を麦雨と呼びます。
他、麦星なんて星が・・・正式にはアルクトゥルス(牛飼座)ですがネ。
ちなみに、真珠星、スピカ(乙女座)は、麦星の奥様です。
銀河鉄道麦秋に飛び立てり/小栗釣月
銀河ステーションからの旅立ちがいつなのかはワカラナイ。
しかし、私ならば初夏に、麦秋の時に、旅立ちたいものです。

季語としては、麦の秋、麦秋、麦刈。

原節子・小津安二郎麦の秋/吉田汀史
*映画の題は、「麦の秋」ではなく『麦秋』[1951年]

駅弁の短き箸や麦の秋/荻野美佐子
太陽は錬金術師麦の秋/杉良介
踏切で手を振る少女麦の秋/鶴田武子
あるったけ鎌研ぐ父や麦の秋/小川花久
長距離恋愛麦秋を行き来する/松永史子
麦秋の水郷棹を休めつつ/堀井浮堂
どこまでも麦秋雲の影走る/渡邊美保
麦秋や忘却のアルルの女/小栗釣月

1888年の二月、ゴッホはパリから南仏アルルに移り住んだ。
初夏、ゴッホは小麦畑を油彩で10点ほど描いたと言われる。
弟テオへの手紙。
前略
自然の中にたくさんの発見があって、それ以外のことを考える時間がほとんどない。
今はちょうど収穫の時期にあたるからね。
中略
この一週間はずっと小麦畑の中にいて、太陽にさらされながらとにかく仕事をしたよ。
1888年6月21日。
麦秋や手紙は太陽がいっぱい/小栗釣月
新しい発見こそがすべての藝術の根幹であります。
麦秋やアルルはヤポンの陽光/小栗釣月
なぜゴッホはアルルに惹かれたのでしょうか?
その理由の一つが日本の浮世絵の明るさです。
浮世絵には、影が描かれていない事から、ゴッホは、日本を光の国と考えていました。
そして日本のような明るさを求めてアルルへと移住したのです。
アルルに到着したその日は雪でしたが、それでも日本のようだとゴッホは大喜びしたと言います。

今日から六月・・・しかし実感ZERO。
明日から雨かぁ~、う~ん。
五月の朝焼。
朝散歩猫に会えない五月尽/小栗釣月
寒暖差が激しいと猫ちゃんも疲れるようで。
五月はあまり外に出たがらない、雨の時は尚更です。
こちらは早朝だけサラリと降る事が多いのです(涙)。
月が観える時は夜の散歩。
観えない時は朝の散歩。
散歩の最大の目的は仲良しの猫チャンに会うコト。
ホボホボ毎回会えるのは、金太郎(本名)・ニャン三号(本名)・ノア(本名)・ザグ。
不定期は、リンリン・デビル・マダラン・チャチャ。
すべて飼い猫です。
野良チャンは全然見ないなぁ~。
大雪が続いたから生き延びれなかったんだろうね~。
恥ずかしながら今回は、私がスマホで撮影した画像を三枚掲載。



むらさきに里山にほふ五月尽/小栗釣月
明日からは、六月。
早過ぎるんだけど(笑)。
あれこれ、まだ、解決に至らず。
人間とはなんて欲深いのだぁぁぁ(笑)。
足るを知って欲しいなぁ、まったく。
煽てられ思案はすれどさみだるる/小栗釣月
あ~、人生楽ありゃ、苦もあるさ、ホイホイ(笑)。
金を残して死ぬ者は下だ。
仕事を残して死ぬ者は中だ。
人を残して死ぬ者は上だ。
by後藤新平
令和五年(2023年)五月、【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
早くも近畿東海、梅雨入りのようで・・・。
う~ん、梅雨ね~。
でも、雨が降らないとそれはそれで問題ですからね。
それよりも心配なのは頻繁な地震・・・そして水害です。
皆さんも油断なきようにお過ごしくださいマセ。
さて、今月の俳句愛好会『幹』の兼題は、夏の季語、『五月雨(さみだれ)』でした。

他、夏の季語で自由題。
投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は六月十二日ごろまで送付します。
尚、次回の兼題ですが、今回は趣向を変えてまして・・・。
【オノマトペ】を使用した創作とします。
オナマトペ~「擬音語」と「擬態語」と「擬声語」
水枕ガバリと寒い海がある/西東三鬼
*ガバリがオノマトペですよね。
この句のように、わざわざカタカナにする必要はアリマセン。
困ったことに、この句の印象が強過ぎて、ガバリを使えないワケですよ(笑)。
ただ、すべてのオノマトペがこのように効果的であるかは疑問です。
オノマトペは、フランス語の「onomatopée/オノマトペア」を語源とする、音(おん)で象徴的に表したモノ・・・「擬音語」と「擬態語」と「擬声語」です。
具体的には、自然界の音や声、物の状態や動き、人間の心理描写ですね。
「擬音語」と「擬態語」と「擬声語」の、違いについては、自分で調べてみましょう。
オノマトペは、命の力強さ、物質の特性、感情の揺らぎを読み手に伝え、インパクトを与える効果があります。
一種の模倣ですが使い方によってはその物の本質を導き出す手法でもあります。
しかし、物理的且つ慣用的な表現に使うと途端に稚拙で月並みになります。
これは是非とも避けなくてはいけないのです。
一つの「擬音語」と「擬態語」と「擬声語」で、たくさんの意味をもつ場合も問題にもなります。
例えば、ゴロゴロ・・・一日中ごろごろしている、雷がごろごろ鳴る、お腹がごろごろする。
ひらひらと花が舞う、さらさらと塩を振る、しんしんと雪が降る、だらだら、うろうろ、どきどき、はらはら、など。
ありふれた使い古されたオノマトペを使用するとその一句は台無しになります。
月並み以下と言ってもよいでしょう。
手垢のついたオノマトペは要注意なのです。
しかし乍ら、使い古され手垢のついたオノマトペを使用した名句もあります。
春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな/与謝蕪村
しんしんと肺碧きまで海のたび/篠原鳳作 無季
へろへろとワンタンすするクリスマス/秋元不死男
をりとりてはらりとおもきすすきかな/飯田蛇笏
雪嶺よ女ひらりと船に乗る/石田波郷
マヨネーズおろおろ出づる暑さかな/小川軽舟
母の日の母にだらだらしてもらふ/正木ゆう子
三月の甘納豆のうふふふふ/坪内稔典
らあめんのひとひら肉の冬しんしん/石塚友二
涙なし蝶かんかんと触れ合いて/金子兜太
上記の作品のように、ありふれたオノマトペで詩歌句を構成するには並外れた技量が必要になります。
では、どうするか。
そのヒントの一つは短歌にあります。
俳句より短歌ではオノマトペの使用頻度が少ないように思います。
ゆえに、貴重であり参考になるのです。
歌人の佐々木幸綱氏がオノマトペについて非常に面白い考察をしています。
まず、その佐々木幸綱氏の有名なオノマトペを使用した短歌をご紹介。
ひばりひばりぴらぴら鳴いてかけのぼる青空の段直(きだ・すぐ)立つらしき
サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず
ゆく秋の川びんびんと冷え緊まる夕岸を行き鎮めがたきぞ
因みに、弟子の俵万智だと、こうなる(笑)。
白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる
自転車のカゴからわんとはみ出してなにか嬉しいセロリの葉っぱ
ふうわりと並んで歩く春の道誰からもみられたいような午後
更に、佐々木幸綱氏の名編。
~オノマトペ先進地 <俳句>~
から、引用させて頂きます。
オノマトペには、現代短歌が忘れている<肉体のリズム>の表現がそこにある。
現代短歌におけるオノマトペというと、すぐ流行の歌謡性(大和言葉[言霊]由来の歌う言語性)を連想されそうだが・・・。
中略。
歌謡性というより、感覚の言語化に際して<肉体>をいかに深くかいくぐったかを示す、<言語の肉体性>、言葉を換えれば<肉声>の問題としてこれを見ていった方がいいのではないか。
私たち短歌を作る者が実践的に俳句から盗むべきものは、この、<言語の肉体性>なのであり、その突出した一つにオノマトペがある、というのが私の考えである。
俳句はリズムで世界を認識するのが得意である。
リズムとは、当然言葉のリズムであるが、言葉のリズムを選びとるのは生きている人間の<言語のリズム>である。
俳人は、だから、おのずと<肉体>を生きることに鋭敏になっているのではないか。
以下、略。
では、現代歌人のオノマトペを使った有名な作品を・・・。
たとへば君 ガサッと落葉すくふよやふに私をさらつて行つてはくれないか/河野裕子
土鳩はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ/河野裕子
我慢して生きてゐなくていいのよとぽちよんと言ひて金魚が沈む/河野裕子
べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊/永井陽子
からーんと晴れた空にひばりのこゑもせずねむたさうな遮断機/永井陽子
さやさやさやさあやさやさやげにさやと竹林はひとりの少女を匿す/永井陽子
月ひと夜ふた夜満ちつつ厨房にむりッむりッとたまねぎ芽吹く/小島ゆかり
蟬はみな小さき金の仏にてせんせんせんせん読経のこゑす/小島ゆかり
炎昼のわあんゆうんと歪みつつ樹木は蟬の声に膨らむ/小島ゆかり
俳句でもあれこれ。
むめ(梅)がか(香)にのつと日のでる山路かな/松尾芭蕉
この「のつと(のっと)」と言うオノマトペは大ブームを起こしたとか(笑)。
当時では画期的でした。
白魚のどつと生まるるおぼろ哉/小林一茶
雪解けてクリクリしたる月夜かな/小林一茶
稲妻のうつかりひょんとした顔へ/小林一茶
近代俳句でオノマトペと言えば・・・川端茅舎ですね。
ひらひらと月光降りぬ貝割菜
ひろびろと露曼荼羅の芭蕉かな
一聯(いちれん)の露りんりんと糸芒
露の玉蟻たぢたぢとなりにけり
よよよよと月の光は机下(きか)に来ぬ
如何でしょうか?
参考になりましたか。
オリジナリティの高いオノマトペを創作して欲しいのです。
新しい表現、新しい発見、新しいオノマトペ。
期待しています。
他、夏の季語で自由題。
締切は、六月二十九日です。
会員以外の方の投稿も大歓迎。
鍵コメやメッセージにて送って頂ければ良いです。
蓴菜。
昨日(5/28)の、恒例の街角LIVE。
遠方より応援に来て頂いた・・・H.T様。
誠に、誠に、ありがとうございました。
手作りアイテム良かったです(笑)。
我が心ゆたにたゆたに浮蓴辺にも沖にも寄りかつましじ/詠み人知らず
児の笑顔地面に映えて蓴生ふ/鈴鹿百合子
蓴生ふ砂丘の上の二つ池/小栗釣月

夏の季語、蓴菜(じゅんさい)。
古名を、根蓴菜(ねぬなわ)、沼縄。
蓴(ぬなわ)、奴奈波、とも書く。
蓴生(お)う、とは、蓴菜の新芽が出る事。

近年の蓴菜は、高級食材であります。
ゼリー状の粘液で包まれた若芽の食感と独自の風味。
悲しいかな、スーパーの蓴菜は、水煮か酢漬けなのだ。
あれは蓴菜とは言えない、風味と食感がまったく無い。
夏に食べてこその蓴菜。

やはり冷やし汁がイイ。
蓴菜入りの冷たい茶碗蒸しも最高に旨い。

ほか、酢の物、天麩羅もGOOD。
長芋と合わせても良しっ♪

蓴菜は、希少種、レッドリストである。
別名、食べるエメラルド。
産地は秋田と山形。
我が県も多少は採れているが・・・絶滅危惧II類。
蓴菜採りの舟を、蓴(ぬなわ)舟と言う。

蓴舟沼底擦つて戻りけり/皆川盤水
練達の魔女三人の蓴舟/柳川晋
蓴すする父と無言の酒なりし/金子輝
蓴菜と問答してをり竹の箸/水谷ひさ江
蓴池より道濡れて続きけり/大崎紀夫
蓴池夷狄(いてき)に挑む志士の群れ/小栗釣月

夷狄=野蛮な侵略者、転じて、池や沼の特定外来種。
日本に流通している蓴菜の八割は支那産。
なんでもかんでも支那産かよ、情けない。