二物衝撃&一物仕立。
<章・一句一章・二句一章について>
「句」とは、文や詩の句切り。
「章」とは、ひとかたまりになって完結している詩文。
「一章」とは、一つのまとまった詩。
「一句一章」とは、この二つを言葉にしたもの。
俳句一句を詠むときに、切れや止めを作らずに、
ひとかたまりで詠み切る方法。
対象を丁寧でかつ明快に描写できるが、至難の業。
「二句一章」とは、二つの物やイメージを組み合せ言葉にしたもの。、
句の中の世界感を広げ、季語や主体を強烈に印象づける方法。
「切字」・「体言止」・ 弱休止「て」などを効果的に用いる。
一般的に、俳句の基本的形式と言われているが・・・。
≪ニ物衝撃≫
「発句はとり合物也(あわせものなり)。
二つとり合わせて、よくとりはやすを上手と云うなり。」
森川許六(芭蕉十哲)著「篇突」
とり合~取り合わせ、配合、二物衝撃、二句一章。
今、世界でブームの日本食。
その理由の一つに【旨味】があります。
昆布と鰹節の合わせ技、旨味の衝撃、
と言う事になりますか?
さて、 ここに、 赤い薔薇の花が咲いています。
例えば薔薇の背景に蒼天があれば、薔薇の赤はますます映えます。
また、葉が茂っていれば、緑が赤を落ち着かせてますます引き立てます。
家の花瓶にポツンと薔薇一輪・・・ならばカスミ草で演出すれば賑やかな美しさに・・・。
考えて見ましょう、 世の中のあらゆる物質は、 一つでは存在してません。
良い仲間、良い組み合わせの場合であれば、相乗効果でお互いが引き立て合います。
これは、良い、幸せな【取り合わせ】と、言えるでしょう、
互いに本来の実力を発揮する事ができるのですからネ。
ここで重要な話を、
俳句の構造は、大きく二つに分けられます。
ニ物衝撃と一物仕立ての、二つです。
良い、幸せな、【取り合わせ】により感動を与える句を、
取り合わせの句、または、配合の句と呼びます。
そして、取り合わせの句で、二つの物が共鳴し特別に出す、雰囲気・・・、
相乗効果、刺激、妙味、便益を、ニ物衝撃(にぶつしょうげき)と言います。
ただし、俳人によってニ物衝撃と一物仕立考え方は様々です。
混乱するのでこの話は機会があれば・・・。
藤田湘子は、『実作俳句入門』で、
二物(A=季語、B=それ以外のフレーズ)は、
意味で響きあうのではない、と、言っています。
例として、ニ物衝撃と言われる有名な句。
旅人と我が名呼ばれん・初時雨/松尾芭蕉
行く春や・鳥啼き魚の目は泪/松尾芭蕉
名月や・北国日和定めなき/松尾芭蕉
春雨や・ゆるい下駄貸す奈良の宿/与謝蕪村
万緑の中や・吾子の歯生え初むる/中村草田男
初蝶や・吾が三十の袖袂/石田波郷
子を思ふ憶良の歌や・蓬餅「よもぎもち」/竹下しづの女
今日よりは明日が好きなり・ソーダ水/星野椿
この八句は、季語部分がそれ以外の部分と、
【意味】で、結びついているわけではありません。
それなのに、互いの良さを引き立て合っています。
これらの俳句は、基本的に途中に切れが入る俳句(二句一章の俳句)です。
切れの前に登場する物と、後に登場する物が互いに響き合っています。
しかし、取り合わせの俳句、二物衝撃の句は、
途中に切れの入らない一句一章の俳句でも作ることができます。
例として、一句一章のニ物衝撃と言われる有名な句。
今生は病む生なりき鳥頭「とりかぶと」/石田波郷
鰯雲日かげは水の音迅「はや」く/飯田龍太
夏の河赤き鉄鎖のはし浸る/山口誓子
秋の風豆腐四角き味したり/小川軽舟
廻されて電球ともる一葉忌/鷹羽狩行
夏桔梗老女の帯のたしかさよ/草間時彦
切れる場所はもちろん、一か所、体言止でも良い。
この二物衝撃は、季語にとらわれない、
そこを考えて、いろんな事物と組み合せてみましょう。
季語と合せる物との間には、程よい距離を置く事が大切で、
あまりにもかけ離れると響きません。
ふたつの取り合せが鮮やかであればあるほど、
インパクトのある、響く句になります。
最初は、対立する言葉を選ぶのが良いでしょう。
大小、高低、明暗、遠近、強弱、神仏などの視点から配合すると効果的でしょう。
参考~
《座とはすなわち、たとえば句会で主宰が
「Bに対してAでなければならぬ」といえば、
参加者たちがごく自然に納得する場のことだ。
つまり「Bに対してAでなければならぬ」という意見が、
共有される座(句会あるいは結社、広くてもせいぜい俳壇)の内部でしか、
「二物衝撃」は成立しない。
あらためて強調しておくが、
「二物衝撃」とはあくまでも俳句に固有のレトリッ クである。
それは取合せという俳諧の手法が、題材を「曲輪の外」に求めてきたという、
座の文学の歴史を抜きにして語ることはできない。
このようは新鮮な取合せを求める俳人たちの、
「終わりなき欲望の運動」がもたらした、
俳句だけのお家事 情なのです。》
by仁平勝
≪一物仕立て≫
「発句は、只金(こがね)を打ちのベたる様に作すべし」
向井去来(芭蕉十哲)著「旅寝論」
他の事物と取り合せずに、季語だけに意識を集中して、
【上五から下五まで一気に詠み流す】句の事です。
ゆえに、臨場感が溢れ季語が引立ちますが、
単なる、季語の説明や叙述、報告、補足、追認、になるケースが多く、
一物仕立ては、凡庸になりやすい欠点も併せ持っています。
例として一物仕立てと言われている有名な句。
春の海終日のたりのたり哉/与謝蕪村
大蛍ゆらりゆらりと通りけり/小林一茶
流れゆく大根の葉の早さかな/高浜虚子
白牡丹といふといへども紅ほのか/高浜虚子
風吹いて蝶々迅く飛びにけり/高野素十
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり/飯田蛇笏
秋の鷹風の真ん中を過ぎゆけり/西村逸朗
天心にゆらぎのぼりの藤の花/沢木欣一
神田川祭りの中をながれけり/久保田万太郎
一物仕立ての句は、取り合わせの句に比べて、
創作するのが実はとても難しい、と言うのが、
俳句の世界では一般的な考え方です。
一物仕立ての俳句は、
「月並み」「理屈っぽい」「陳腐」「ありきたり」「安易」
になりやすく、危険です、創作には細心の注意が必要です。
片山由美子氏
「一物仕立て」の俳句は、季語を外したら何の意味もなくなってしまう。
季語こそすべてなのである。
小澤實氏
一物俳句と取り合わせの俳句では季語の使い方が全然違います。
季語を詠む句、季語を描写する句が一物俳句、
季語と季語意外を取り合わせるのが取り合わせ。
夏井いつき
『一句一章』や『二句一章』は句切れの問題。
形は切れていても、内容は繋がっている場合もある。
『詠まれる素材』に注目して内容で判断する。
『写生句』は句の構造ではなく、作り方の方法のひとつ、
『写生句』=『一物仕立て』ではないこともある。
以上の事を良く理解して、創作してみましょう。
疑問、質問、いつでも遠慮なくメール下さいネ。
お待ちしています。
釣月