福島県広野町への心のリレー♪
TVを見る習慣もなく、新聞もマレに読むだけ。
たまたま、本日(8月16日)、某所で【新潟日報】を読んだ。
尊敬する司馬遼太郎先生の本。
確か、【歴史と風土】で、
先生は、地方新聞の重要性を説き、
戦国時代に名を馳せた武将のいた地方では、
現在でもその地方新聞が元気だと、書いていた。
私の新潟県には、
新潟日報(上杉)
ちなみに、地元、村上市には二つの地元新聞社がある。
DE、
他の地方新聞は、
信濃毎日新聞(真田)
河北新報(伊達)
高知新聞(長曽我部)
南日本新聞(島津)
中部日本新聞(織田・豊臣)
など、
DEDE、
以下、本日の新潟日報の日報抄。
『器に満々とたたえられた水が、最後にぽとりと落ちた一滴の弾みで、あふれる。
人の情熱もきっとそういうものなのだろう
村上市立第一中の生徒有志が、福島県広野町の広野中の生徒を励まそうと、約180キロをリレーで走った。
大震災以来、生徒たちの胸を「被災地のために何かをしたい」という思いが満たしていたに違いない
その思いを行動に変えるための、ほんの少しの弾みとなったのが、村上一中校長の佐藤修一さんだった。
4月、支援物資を持って国道を東に進み、宮城県亘理町にたどり着いた。「この道をリレーでつなげないか」と考えた
校内で集まった義援金は約20万円。ただ送るのではなく、たすきをつなぎながら走って届けよう。
その一滴が生徒の心を揺さぶった。
届け先を広野中にしたのは、JR村上駅にもJR広野駅にも小学唱歌「汽車」の歌碑があるという小さな縁だ
広野中からは事前にたすきが届いた。
生徒13人と保護者、教員が夜通しで走った16時間の詳細は先週の本紙に譲るとして、
佐藤さんから後で聞いた話が泣かせる。
「スピードや順位を競うレースではありませんが、たすきを1分でも1秒でも早く次の走者に渡したいと、どの生徒も思っていました」
それは亘理町で出迎えた広野中の生徒たちにも十分伝わった。
「みんなで協力すればどんなことでも乗り越えていけることを教わりました」
「どこかで災害が起こったときは、みなさんを見習って積極的に活動したい」。
中学生たちの胸の内に新たに蓄えられた一滴一滴がまぶしい。』
新潟日報2011年8月16日
義援金の受け渡しはココをクリック→【福島県双葉郡広野町立広野中学校ホームページ】
全然知らなかった。
恥ずかしい。
ココでも取り上げられていたのに・・・クリック→『FM-NIIGATA 77.5MHz 村上e-station』
しかし、さすが、私の母校(こんな時だけスイマセン)。
なかなかやるではないか、と、目を細めた次第。
m(_ _)m