旧暦・二月十六日・【井上井月】の忌日。
水際や青田に風の見えて行く
春風や碁盤の上の置手紙
降るとまで人には見せて花曇り
ほととぎす旅なれ衣ぬぐ日かな
ひとつ星など指さして門すずみ
魂棚や拾はれし子の来て拝む
落栗の座を定めるや窪溜り
我道の神とも拝め翁の日
目出度さも人任せなり旅の春
水仙や今朝突ぬけし花袋
手元から日の暮れゆくや凧
本日、二月十六日は、元祖?漂白の詩人。
井上井月の忌日です。

文政5年(1822年)? - 明治20年2月16日(1887年3月10日)
越後の長岡藩生まれと推測されている。
京都へ行って貞門派の俳諧連歌を学び、
あれこれあって、あちこち彷徨い???
伊那谷[現、長野県の南部]に姿を現す。
以来約30年の間、この地で死去するまで、
上伊那を中心に放浪生活を続けた。
地元では、
「乞食井月」「シラミの問屋」
などと呼ばれていたようです。
大勢の文人に影響を与えているが、
芥川龍之介や種田山頭火が有名です。
あの、つげ義春が作品化している、傑作である。

【井月忌】
美篶てふ里の名ゆかし井月忌/西本一都
みすずかる伊那谷に空井月忌/松田ひろむ
何処(どこ)やらに鶴の声聞く霞かな(井月辞世の句)
井上井月顕彰会
http://www.seigetsu.org/
伊那谷を代表する俳人・井上井月の紹介
http://www.inacity.jp/kurashi/shogaigakushu_bunka/bunka/kotennohi.html
旧暦2月16日[2月15日]・【西行忌】
西行の桜になりし月夜かな/正岡子規

「心なき身にもあわれはしられけり鴫たつ沢の秋の夕ぐれ」
有名な三夕のひとつ・・・・知らない人はいないでしょう。
宗祇・芭蕉も、西行に憧れたのです。
そして、今もなお、人々を旅に誘うのです。
旧暦の2月16日が本当の忌日?らしいのですが、
旧暦の2月15日は、釈迦の入滅の日、また、満月にもちなんで、
前日の2月15日でイイジャン?説もあり、忌日が二つあります。
ま、どちらでもいいですね。
歌聖・・・・・西行法師の忌日です。

出家して法号は円位、のちに西行、大本房、大宝房、大法房とも称しました。
【願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃】

自ら詠んだこの歌の通り、
如月(きさらぎ・旧暦の二月、今の三月)の桜満開の望月(もちづき、満月の意味)に入寂されたそうです。
西行の逸話は、あまりにも多くて紹介できません。
興味がある人は、本がタクサン出ていますのでお読み下さい。
白州正子「西行」、辻邦生「西行花伝」が読み応えがあります。
西行がいたおかげで、俳句や短歌が後世に残っていると言っても過言ではありません。
芭蕉の奥の細道は、まさしく西行を旅していたのです。

芭蕉の西行LOVEは、もはやスト~カ~、変質者レベルです、その話は機会があれば・・・・。
では、西行作[諸説あり・・・]と、言われてる有名な歌をいくつか。。。。
惜しむとて惜しまれぬべき此の世かな身を捨ててこそ身をも助けめ
最上川 つなでひくとも いな舟の しばしがほどは いかりおろさむ
何事のおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こほるる
吹きわたす風にあはれをひとしめていづくもすごき秋の夕暮
み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり
吉野山こぞの枝折の道かへてまだ見ぬ花の花を尋ねむ
『西行忌』
栞して山家集あり西行忌/高浜虚子
今日ばかり花も時雨よ西行忌/井上井月
ほしいまま旅したまひき西行忌/石田波郷
咲く花に散る花に雨の西行忌/相馬黄枝
枯れてゆく喜びもあり西行忌/松田都青
亡き父にとゞく葉書や西行忌/寺山修司
行く水に花のまぼろし西行忌/角川春樹
つらつらと花の夢見し西行忌/小栗釣月
蛇足、幕末の英雄にして超インテリだった、高杉晋作。
「西へ行く人を慕うて東行く 我が心をば神や知るらむ」と歌い、東行と号した。
もちろん、西へ行く人とは西行のことを言っているワケであります。
西行法師は、死して、なお、人を旅へ、遠くへと、誘うのです。
