今日[7月17日]は、これ!みなと de ライブ♪
7/17・本日・『茅舎忌/ぼうしゃき』
ぜんまいののの字ばかりの寂光土
蛍籠大きな月が覗きけり
下り鮎一連過ぎぬ薊かげ
本日、7月17日は、川端茅舎/かわばた・ぼうしゃの忌日です。
別号、遊牧の民・俵屋春光。

1897年8月17日~1941年7月17日
高浜虚子に師事し、
虚子に『花鳥諷詠真骨頂漢』とまで言わしめたホトトギス・写生派の俳人。
飯田龍太は、俳諧史上に特筆すべき存在、と・・・・。
また、クリスチャン俳人の中村草田男は、茅舎の句にはキリスト教信仰が伺われる、と・・・・。
二十年間病臥にありながら、句風は「茅舎浄土」と言われ、
キリスト教・仏教用語を駆使するなど・・・・自然賛美の独特な句を創出した。
【茅舎忌】
夏草のよよと暮れゆく茅舎の忌/飯田龍太
茅舎忌を祗園囃の中にゐし/加古宗也
夕蝉のこゑ沁みとほり茅舎の忌/宮下翠舟
茅舎忌の朝日を凝らす芋の露/冨田みのる
茅舎忌の朝開きたる百合一花/高野素十
涼風と福音の鐘茅舎の忌/小栗釣月
では、茅舎のキリスト教を思い起こさせる句をいくつか・・・、
葡萄棚漏るる日影の微塵かな
聖霊の茄子の形となりにけり
放屁虫エホバは善しと観たまへり
月光に深雪の創のかくれなし
どくだみや真昼の闇に白十字
花杏受胎告知の翅音びび
筑紫野の菜殻の聖火見に来たり
皆懺悔鶯団子たひらげて
で、こんな説も・・・。
茅舎の号の由来が、旧約聖書の『レビ記』にある「結茅(かりほずまい)の節(いわい)」
(神が民を「仮庵(かりいお)」に住まわせた事を思い出させるための祭)から採られているという見解。
*「汝ら七日のあひだ茅庵に居り
イスラエルに生れたる人はみな茅庵に居べし」(レビ23:42)*
辞世?の一句
【石枕して われ蝉か 泣き時雨】
は、旧約聖書のヤコブの故事を思い起こさせる。
「主のみもとに近づかん 登る道は十字架に
ありともなぞ悲しむべき 主よみもとに近づかん
さすらうまに日は暮れ 石のうえのかりねの
夢にもなお天を望み 主よみもとに近づかん」
「茅舎と聖書」奥が深いのです。
7/17・本日・『秋櫻子忌/しゅうおうしき』・紫陽花忌。
朝の蝉富士のくれなゐ褪せゆけり
降り足らぬ夕立の沖へ夜焚舟[よたきぶね]
本日、7月17日は、水原秋桜子/みずはらしゅうおうしの忌日です。

1892年(明治25年)10月9日~1981年(昭和56年)7月17日
松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。
短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込む。
「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、
俳壇に反ホトトギスを旗印とする、
新興俳句運動が起こるきっかけを作る。
また、古語を生かし、
万葉調と言われる叙情的な調べを作り出し、
いわゆる、印象派風の先鋭です。
「馬酔木」主宰。別号に喜雨亭。
山口誓子、阿波野青畝、高野素十の3人とともに「ホトトギス」の「四S」。
私、過去に、秋桜子の作風はあまり好みではない、
と、書いたことがありますが、このごろ、大人になって[笑]心変わりしました。
勉強不足でした、藤田湘子にヤヤ傾倒しておりますのも要因かと・・・・。
また、加藤 楸邨は、秋桜子なくして、その後の俳句の隆盛もあらず・・・・・と、
【秋櫻子忌】&紫陽花忌&喜雨亭忌&群青忌。
紫陽花忌色なき夢に目覚めけり/徳田千鶴子
群青へ滝こそひびけ喜雨亭忌/矢野聖峰
歌舞伎座に今瀧の景群青忌/鈴木節子
紫陽花忌万葉集の朝なりき/小栗釣月

では、秋桜子の句をアレコレ、
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々
来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
陶窯が噴く火の暮れゆけば青葉木莵
瀧落ちて群青世界とどろけり
ふるさとの沼のにほひや蛇苺
利根川のふるきみなとの蓮かな
家業の病院も継ぎ、宮内省侍医寮御用係として多くの皇族の子供を取り上げたコトは有名。
DE、論議を呼んだ問題の?秋桜子の辞世の句、
死してこれほどまでに世間を業界を騒がせた俳人はいないであろう・・・・。
その句、
【紫陽花や水辺の夕餉早きかな】
いわゆる「や・かな」俳句である。
二つの切れ字、これは本来超NG。
もちろん、当時、かなりの論議を呼ぶワケであるが・・・・。
森澄雄曰く、
「破格のこの一句の大きさは、
生涯を通して美の追求を貫いてきたこの作家の終末の一句として、
ぼくには、
さきの規矩をととのえてみた作品より、
確然と大きく、
その不思議とともにぼくには面白い。
人間の大きないのちの自然に従うのがよかろう。
直すとは烏滸[おこ]の沙汰であろう」
という、
一言で落ち着きます。
面白いですWA。