7/24・本日・『河童忌/かっぱき』・我鬼忌/龍之介忌。
蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
松風をうつつに聞くよ夏帽子
明星の銚(ちろり)にひびけほととぎす
本日・7月24日は、芥川 龍之介/あくたがわ りゅうのすけno忌日です。

1892年(明治25年)3月1日~1927年(昭和2年)7月24日)
満35歳没・・・・自殺。
小説家、号は澄江堂主人、俳号は我鬼。
芥川龍之介を知らない日本人がいたらお目にかかりたい[笑]
彼の小説などは実際に読んでアレコレお考えくださいマセ。
また、逸話も多く、興味のある方はググッていただきたい。
さて、芥川龍之介は生前に、約600句と言われる俳句をつくり、
そのうちの、七十七句を、『澄江堂句集/昭和二年刊行』に収録した。

【落葉焚いて葉守りの神を見し夜かな】
上記は、芥川龍之介の9歳で初めてつくった俳句だそうです。
やはり、スゴイです。
《河童忌》&《我鬼忌》
河童忌やあまたの食器石に干す/飯田蛇笏
河童忌や棟に鳴き入る夜の蝉/内田百間
河童忌や水の乱せし己が影/石川桂郎
娼婦来てベツドに坐る我鬼忌かな/角川春樹
光りては水の尖れる我鬼忌かな/上田五千石
青年の黒髪永遠に我鬼忌かな/石塚友二
なぜ、芥川 龍之介が俳句にのめり込んだのかはヨクわかりませんが、
夏目漱石との交友が一番の理由ではないでしょうか。
芥川龍之介は頻繁に漱石山房[夏目漱石の終の棲家]に出入しており、
俳句を作っていた漱石の影響をうけたのでは?
芥川龍之介は高浜虚子が主宰するホトトギスにも投稿しています。
芥川龍之介が芭蕉に心酔しており俳句の創作で芭蕉を模範としていたようです、
また、尾崎放哉、井上井月などにも非常に興味をもっていた様子です。
左翼、反軍的な自説を主張・・・・、このあたりはまぁなんとも、
ただし、我が海軍[オグリン家は先祖代々海軍畑デス]には好意をよせている様子ですが・・・・、
では、芥川 龍之介の句を更に幾つか。。。。。。
昼見ゆる星うらうらと霞かな
たんたんの咳を出したる夜寒かな
ちりたまる花に起るや夕つむじ
湯上りの庭下駄軽し夏の月
兎も片耳垂るる大暑かな
木がらしや目刺にのこる海のいろ
風に鳴る松や孤峯の草枯れて
煙草が大好きで、1日に180本も吸っていたヘビースモーカーだつたとか。
以下、興味深いお話。
~「点心」のようなもの~
芥川 龍之介が俳句を文学上、どのように考えていたか、
門下生の小島政二郎への書簡中で、以下の様に書いています、
「此頃高浜さん[虚子]を先生にして句を作つています。点心を食ふやうな心もちでです」
さらに、その「点心」ついて、随筆で以下の様に書いています。
「点心とは、早飯前及び午前午後哺前(ほぜん)の小食を指すやうである。
小説や戯曲を飯とすれば、これらの随筆は点心に過ぎぬ。
のみならずわたしはこの四五年、丁度点心でも喫するやうに、時々これらの随筆を草した」
辞世の句
「水洟(みづぱな)や 鼻の先だけ 暮れ残る」
今年の芥川賞、話題ですね。
早々に読みたいと思います。