初心者の俳句教室とベテラン会員の勉強会の資料の作成中。
わかりやすい資料、
と、
レベルを上げる資料
と、
相反するモノの作成は、
疲れる、が、勉強になるのデス。
今回は、
二物衝撃&一物仕立の解釈と実践法。
我ながら難しいテーマを選んだよ、
しかし、次のステップに進むためには大切。
みんな、壁を乗り越えようネ。
資料を作ると言う事は、
新しい発見があるのです。
再認識するのです。
そして、
教えるということは、
自らが学ぶことです。
もっともっと学ばなくてはなりません。
さて、
キーボードばかり打っていたから、
エレキギターでも弾くかなぁ~~~。
まぁ、イイさ、沈黙は金だっ。
議論もしなくなった・・・、いや、したくない。
だって、議論をスル相手を選ぶのはコチラだ。
FTK・・・懲りない面々だよ。
で、言いたかった事を、
私と同じご意見と思われる?
直木賞作家【浅田次郎氏】のエッセイ、
『勇気凛々ルリの色』
から、以下引用にて、
私の言葉とかえさせて頂きます。
宗教家の宗教家たる所以は、
世の終わりを説き、
秘蹟を顕しながらもなお、
信者たちに、
【普遍の幸福】を、
与えようと努力してきた点にある。
中略
つまり、
釈迦やキリストがあえて世の末を語り、
秘蹟を顕さねば救いようのなかった人々など、
少なくとも今の日本にはめったにおらず、
実はみな既に、
【普遍の幸福】を、
生まれながらにして、
享受しているのである。
中略
だから私は、
新興宗教の存在そのものよりも、
あえて新たな宗教を起こそうとする、
その動機を疑うのである。
彼らの教義を良くはしらない。
しかし信徒のひとりひとりに約束された、
【普遍の幸福】を、
寄進させてまで、
さらなる幸福を与える力が、
宗教にあろうとはどうしても思えない。
仮に既存の宗教が、
決してなしえなかったパワーが、
それらの教祖様にあり、
祈り信ずればさらなる幸福が約束されるとしたならば、
それは、
祈りさえすれば煩悩までも満たされるという、
悪魔の教えだ。
FTKの皆さん、
もう、来ないでね。