最近、森達也がさぁ~。
思想的には、
共感できないトコもアルけど、
彼の本はたくさん読んだし、
『A』などのドキュメンタリーは、
かなり評価している。
森達也は、どんどん出て、
語るべきだ、と、私は思うのね。
うん、聞いた人がそれぞれ判断すればイイのさ。
で、
日本人は、
『A』&『A2』、
これは観るべきだね。
旧暦2/30[閏年]・本日?・【其角忌/きかくき】
梅寒く愛宕の星の匂ひかな
うすらひやわづかに咲ける芹の花
帚木のゐぐいは是にやみの梅
鎌倉や昔の角の蝸牛
凩よ世に拾はれぬみなし栗
草の戸に我は蓼食ふほたる哉
夕立や田を見めぐりの神ならば
けさたんとのめや菖の富田酒(とんださけ)
立馬の曰は猿の華心
旧暦二月三十日。
俳人、【蕉門十哲の第一の門弟】 宝井 其角/たからい きかく・・・・の忌日デス。
(1661年~1707年)

宝永4年没。
永年の放蕩や大酒が災いして、47歳の若さで早逝。
芭蕉が其角に「朝顔に我は飯食う男なり」という句をおくり、
放蕩や大酒を改めるようにと願ったのですが・・・・。
草庵に桃桜あり、門人に其角嵐雪あり・・・・、
【両の手に桃と桜や草の餅】
と、
松尾芭蕉が二人を目の前にして詠ったとか。
また、江戸を拠点とする門人で其角だけが、
唯一芭蕉の死に立ち会えました。
宝井其角の酒の句については、大先輩の句友であります。
【淀風庵】氏のHPをご参照下さい。
「酒の詩歌句集」
『同上・宝井其角欄』
とにかく異常にエピソードの多い俳人デス。
芭蕉の没後は、
江戸座と言う結社の主宰となり、
洒落風俳諧(こんな感じの句・・・・、闇の夜は吉原ばかり月夜かな・暁の反吐は隣か時鳥)
を、おこし一躍江戸一番の人気俳人となります。
ま、アル意味商業主義的?堕落と大衆性は紙一重ですが・・・・如何なものかとの批判も多し?
こうした豪放洒脱にして難解放蕩三昧の超インテリな人物であっただけに・・・。
凡人の私など、其角の句は複雑怪奇?と、いわざるえません。
そのあたりの解説はプロにおまかせです。
この本をご参照下さい。【旧ブログ・其角マニュアル本?の紹介】
【其角忌】・晋子忌・晋翁忌。
其角忌の酒飲男やとひけり/谷活東
其角忌やあらむつかしの古俳諧/加藤霧村
其角忌や西相模野の紅梅花/石原八束
晋子の忌硯に酒を注ぎけり/織田烏不関
煮奴にさかな上るり晋子の忌/加藤郁乎
其角忌や立並ぶべき花もなし/松瀬青々
では、其角の有名な句をいくつか・・・。
この木戸や鎖のさされて冬の月
寝ごごろや火燵蒲團のさめぬ内
やりくれて又やさむしろ歳の暮
百八のかねて迷ひや闇のむめ
朧とは松のくろさに月夜かな
うぐひすや遠路ながら礼がへし
ねこの子のくんづほぐれつ胡蝶哉
あだなりと花に五戒の櫻かな
寝時分に又みむ月か初ざくら
しら魚をふるひ寄たる四手哉
明る夜のほのかに嬉しよめが君
初雪や門に橋あり夕間暮
赤穂浪士にも出てくるんだから。
たいしたお方ですネ。
旧暦2/28・本日・【利休忌/りきゅうき】
茶聖、千利休/せんのりきゅう・・・・の忌日デス。
(1522年~1591年)

天正19年没。
享年69歳。
【利休忌】・宗易忌・与四郎忌。
利久忌のがぶ飲みの茶を楽しめり/石塚友二
普段着の心大切利休の忌/阿波野青畝
利休忌や茶掛かすれし無の一字/近藤一鴻
利休忌の白紙にちかき置手紙/上田日差子
利休忌やラヂオ報ずる事きびし/長谷川かな女
利休の辞世の句。
「人生七十(じんせいしちじゅう)
力囲希咄(りきいきとつ)
吾這宝剣(わがこのほうけん)
祖仏共殺(そぶつともにころす)、
提(ひっさぐ)る我得具足(わがえぐそく)の一太刀(ひとつたち)
今此時(いまこのとき)ぞ天に抛(なげうつ)」
死罪の理由は現在でも多くの謎に包まれています。
一般的には、政務に関わり過ぎた?過ぎる?為に、
反利休勢力(石田三成など)に貶められた、とも言われていますが・・・はてさて?
私の家にも貼ってあります。
【利休七訓】
茶は服のよきように
炭は湯の沸くように
花は野にあるように
夏は涼しく冬は暖かに
刻限は早目に
降らずとも傘の用意
相客に心せよ
なかなかできませんネ。
m(_ _)m
不思議?・・・千家では今日(二月二十八日)の1ヶ月後を命日として会をおこなうヨシ・・・。
また両千家で日にち違うし・・・わけわからん(T_T)
現在の茶の湯のアリカタ、利休は望んだのでしょうかネ~。
日本の灯台っていつごろからアンの?

昨日[2月27日]、
【椿三十郎】を観ていたら・・・。
あ、もちろん、三船さんのヤツね。
1961年公開のシロクロ版です。

で、椿三十郎が、
『灯台元暗し・・・』ってセリフを言ったときに、
何十回も観て不思議に思わなかったんだけど、
ふと、日本はいつから灯台があったんだろうと?
疑問に思い調べてみた。
日本最初の灯台は、
839年(承和6年)に遣唐使船の目印として、
九州の峰で篝火を焚かせたモノと言われています。
建設が確認できる最古の灯台は、
摂津国の住吉大社の西方にあった、
鎌倉時代創建と伝えられる高灯籠です。
江戸時代に入り海運が盛んになると、
日本式の灯台である灯明台や常夜灯が、
岬や港に近い神社の境内などに設置されます。
日本最初の洋式灯台は、
1869年(明治2年)2月11日に点灯した観音埼灯台で、
着工した1868年(明治元年)11月1日が灯台記念日となっています。
2006年(平成18年)11月12日、
日本で最後の職員滞在灯台であった女島灯台(長崎県五島市)が自動化され、
全ての灯台が無人化されました。
う~ん、なんでも歴史がアルものですね。