4月15日~七十二候・[虹始見/にじはじめてあらわるく]
初めて虹が出る頃。
春の虹消ゆまでを子と並び立つ/大野林火
春の虹そのあと昏し足洗ふ/野澤節子
吐息とどく近さに春の虹立てり/岸本マチ子
武蔵野の森より森へ春の虹/鈴木花蓑
夕暮れの時は良い時by堀口大学
堀口大学の詩のようでしたWA。
~夕ぐれの時はよい時~
堀口大学
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。
それは季節にかかはらぬ、
冬なれば煖炉のかたはら、
夏なれば大樹の木かげ、
それはいつも神秘に満ち、
それはいつも人の心を誘ふ、
それは人の心が、
ときに、しばしば、
静寂を愛することを
知つてゐるもののやうに、
小声にささやき、小声にかたる……
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。
若さににほふ人々の為〔た〕めには、
それは愛撫に満ちたひと時、
それはやさしさに溢れたひと時、
それは希望でいつぱいなひと時、
また青春の夢とほく
失ひはてた人々の為めには、
それはやさしい思ひ出のひと時、
それは過ぎ去つた夢の酩酊、
それは今日の心には痛いけれど、
しかも全く忘れかねた
その上〔かみ〕の日のなつかしい移り香〔が〕。
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。
夕ぐれのこの憂鬱は何所〔どこ〕から来るのだらうか?
だれもそれを知らぬ!
(おお! だれが何を知つてゐるものか?)
それは夜とともに密度を増し、
人をより強き夢幻へとみちびく……
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。
夕ぐれ時、
自然は人に安息をすすめるやうだ。
風は落ち、
ものの響〔ひびき〕は絶え、
人は花の呼吸をきき得るやうな気がする、
今まで風にゆられてゐた草の葉も
たちまちに静まりかへり、
小鳥は翼の間に頭〔かうべ〕をうづめる……
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。
詩集『月光とピエロ/1919年(大正8年)に出版』より。
4/15・本日・【藤田湘子/ふじたしょうし】の忌日です。
逢ひにゆく八十八夜の雨の坂
十月やみづの青菜の夕靄も
とろろなど食べ美しき夜とせん
蜥蜴出て遊びゐるのみ牛の視野
炎天にテントを組むは死にたるか
志ん生も文楽も間や軒忍
冬の街戞々[かつかつ]とゆき恋もなし
朝顔を蒔くべきところ猫通る
琴の音や片蔭に犬は睡りつつ
蓼紅しもののみごとに欺けば
受験期や少年犬をかなしめる
春夕好きな言葉を呼びあつめ
物音は一個にひとつ秋はじめ
私が近代の俳人で、
最も尊敬する、
藤田湘子の忌日です。

1926年1月11日~2005年4月15日
中学在学中に水原秋桜子を知り、
「馬酔木」に投句、秋桜子に師事、
石田波郷に兄事。
後に、俳誌「鷹」を創刊・主宰。
風狂の俳人と称される、
鬼才、中原道夫氏は・・・、
藤田湘子を以下の様に評している。
「多作によって素材の幅が広がり、
湘子俳句の底辺に流れる叙情性に加え、
俳句本来の挨拶性、即興性、諧謔性を獲得することになった」
藤田氏の俳句入門書はいまでもバイブルである。
「俳句は意味ではない、リズムだ」
との、問題発言?も有名です。
では、他の句も幾つか。
逢ひにゆく八十八夜の雨の坂
小説の発端汗の捨切符
雁ゆきてまた夕空をしたたらす
月下の猫ひらりと明日は寒からむ
口笛ひゆうとゴツホ死にたるは夏か
筍や雨粒ひとつふたつ百
揚羽より速し吉野の女学生
あめんぼと雨とあめんぼと雨と
枯山へわが大声の行つたきり
口論の真ん中にあり蠅叩
菊人形問答もなく崩さるる