2017/4/20・新生デュオ・『Poco a Poco/ポコアポコ』練習日。
Duo『Poco a Poco』の、
練習日でしたぁ~。
上手く弾けず、トチってばかり・・・、
う~ん、駄目駄目、シッカリしなくては・・・。
で、楽屋での演奏予定曲を、
約ニ時間!ミッチリやりました。
相方さんno仕上がりは順調です。
高音がなかなか色っぽくて良いです。
さて、[Poco a Poco]
まだまだ発展途上ではありますが、
予定通りに、『楽屋生音日曜版』、DE、
デビュー致します。
詳細はこちら→2017/04/23・[Poco a Poco]・楽屋出演♪
ヨロシクお願いします。
2017/4/21~23・本日から【靖国神社・春季例大祭】

『たけしさん、何言ってんだ。
我々はね、
"靖国で会おう"と言って,
死んでいくんだよ』
って。
『靖国なんだよ』
って。
『それを変えてもらっちゃ困る』
詳細はこちら→【ビートたけし/小野田寛郎少尉の語る 靖国の存在意義】

靖国神社HP→《春季例大祭》
人それぞれ、
考えはあるかと思いますが、
「靖国で会おう」が,
すべての人の遺言とも思いませんが、
英霊にたいして,
心からお祈りするべきと考えます。
我が家は海軍畑。
私のお爺ちゃんをはじめとして、
たくさんの身内が祀られています。

【命を懸けて日の本をお護りくださり、誠にありがとうございました。】
4/21・本日・「忠君愛国之士」沖禎介、横川省三、忌日。
さらに、正確なインテリジェンス(情報)がないと、
軍隊が機能しないと言う正論がやっと法律になりました。
情報戦を制するモノが最後に勝利するのです。
今までは、すべてアメリカ頼りの情報でした(T_T)
それではイケナイのです、
情報こそ、外交、国家戦略の最大の武器でしょう。
DE、日露戦争は、日本の外交と情報戦の勝利でした。
やれば出来るんです。
DEDE、沖禎介、横川省三。


この両氏をご存じですか?
日露戦争で軍のための諜報活動中、
コサック兵に捕らえられて銃殺刑に処せられました。
両氏が、
その壮烈な最期を遂げたのが、
1904年(明治37年)の、本日4月21日です。
横川省三39歳、沖禎介29歳でした。
刑死を控えた両氏の態度があまりにも立派で、
ロシアの軍人達が心から敬服したとのことです。
さらに取り調べに当たった少佐が減刑を嘆願したほどでした。
絞首刑の予定が名誉ある銃殺刑に変更となりますが、
これも異例中の異例なことでした。
また、両氏が、
所持金のすべてをロシアの赤十字社に寄付した行為に、
ロシアの人々は驚嘆しました。
ドイツの観戦武官は、
ロシア軍士官の前でこのように言ったとの記録があります。
「失礼なことを言って申し訳ないが、
日本軍に両氏のような軍人が多数いるならば、
いかにロシア軍が現時点で優勢であっても、
日本に勝つことは不可能だろう。」
と。
そして、刑は執行になるのだが・・・・。
銃殺刑の執行官が、
十二名の射撃手へ、
「愛をもって撃て。」
と、命じた心意気が胸を打ちます。
正に、この両氏は、真に畏敬すべき存在だったのでしょう。
実はこの両氏、
軍人ではありません。
諜報活動に志願した民間人だったのです。
当時の日本人がいかに国を愛していたかがわかります。
さらに、こんなエピソードも記録されています。
戦争当時、宮中においては、
内親王が戦死者を祭壇に祀る為、戦死者を記帳していました。
その内親王が、横川省三、沖禎介の名を記帳された時に、
両氏に肩書きがないことを不思議に思い理由を問われたので、
側近の者が、
両氏の身分やロシアでの業績の内容を言上すると、
内親王が感涙なされて、
しばらくお顔をお上げになれなかったとの事です。
そして、内親王は、
お顔をお上げになり、
筆をお執りになって、
二人の名の上に、
「忠君愛国之士」と記されましたっ。
両氏共に、靖国神社に合祀されています。
このような人々のお陰で、
大きな犠牲の上で、
この日本があるという事実を、
我々は忘れてはいけないのだと思います。
合掌。