8/9・本日・『右城暮石』の忌日。
草踏めば水に飛び込む虫多し
百姓の手に手に氷菓滴れり
8月9日は、右城暮石の忌日です。

1899年〜1995年
大阪電灯に入社、松瀬青々を知り、青々主宰誌「倦鳥」に入会、
古屋秀雄、細見綾子とともに「倦鳥」の若手三羽烏と呼ばれる。
その後、「青垣」同人、「風」同人になるも退会、「天狼」同人となり、
「運河」を創刊、主宰しました・・・句集『上下』で蛇笏賞を受賞。
生き物を詠んだ句が秀逸です。
眼を先へ先へ送りて蕨採る
寒風の通天閣もの落すなよ
妻の遺品ならざるはなし春星も
山洗ひ海を洗ひて颱風去る
火を供へ酒を供へて滝青む
さまざまの音がして来て昼寝覚む
来て間なき鶲の動ききびきびす
次の樹へ吹き移りゆく杉花粉
蜘蛛の圍に蜂大穴をあけて遁ぐ
払ひたる蟻がきよとんと吾を見る
タクシーに追うてもらつて虹を見る
山の虻大きくて馬の色したり
老人の日といふ嫌な一日過ぐ
いつからの一匹なるや水馬
8/9・本日・ムーミンの日。

ムーミン誕生60周年となった2005年、
トーベ・ヤンソンの誕生日である8月9日に制定されました。
ムーミン公式サイト→[moomin official HP]
広いアパートに住んでいたときに、
ヴィレヴァンDE購入したニョロニョロが、
大量に鎮座しておりました。


あ~、いつになったらヴィレヴァンに行けるのか・・・・。
旧暦・八月九日【太祇忌・不夜庵忌】
蛍火や旗幟にしずまる夜の水
うつす手に光る蛍や指のまた
目の覚める時を朝なり五月雨
芝居見る後侘びしや秋の雨
本日、旧暦8月9日は、
江戸中期の俳諧師、
あの蕪村と並び称される、
【炭太祇/たんたいぎ】の忌日です。

宝永6年??(1709年??)~明和8年8月9日(1771年9月17日)
【太祇忌・不夜庵忌】
夜に入りて太祇忌と知る雨の音/星野麦丘人
太祇ここに住めりとぞいふ忌を修す/河東碧梧桐
太祇忌や出してはしまふ旅衣/林なつを
太祇忌や眠るが如く句をうめく/花木伏兎
太祇忌やただ島原と聞くばかり/松瀬青々
太祇忌や秋の湖邊の蒲焼屋/飯田蛇笏
40歳を過ぎてから京都の大徳寺の僧となり、
やがて還俗して、妓楼(女郎屋)桔梗屋の招きに応じて、
島原の不夜庵に居を移し、宗匠となる。
宝暦6(1756)年には、江戸へ帰省するが、
俳諧師の活動はしばらく停滞する。
明和3(1766)年夏、亡師宋阿(早野巴人)の夜半亭を継いだ後、
与謝蕪村が俳諧結社「三菓社」を結成し、俳風の革新が始まったと同時に、
太祇も刺激されて俳諧に復帰して、数々の名句を残す。
うつくしき日和となりぬ雪のうへ
もの音は人にありけりおぼろ月
ほととぎす江戸の昔の夢の内
橋おちて人岸にあり夏の月
はつ恋や燈籠によする顔と顔
石榴喰ふ女かしこうほどきけり
傾城の朝風呂匂ふ菖蒲かな
足が出て夢も短き蒲団かな
日常を得意とする、太祇の句。
その時代の庶民の生活がわかるような気がします。
門人も、芸人・遊女・商人などが多かったようです。
「仏を拝むにも発句し、神にぬかづくにも句せり」
まさに、俳句三昧の人生でした。
『病で死ぬ人を感ずる暑哉/やんでしぬひとをかんずるあつさかな』
この句は、日射病・熱中症の句ですね。
さて、大酒飲みだった太祇、死因は脳卒中ではないかと言われています。
ゆえに・酒の句も多い。
親も子も酔へばねる気よ卵酒
旅人や菊の酒酌む昼休み
恋にせし新酒呑みけりかづら結
永き夜を半分酒に遣ひけり
長き夜や余所に寝覚し酒の酔
大名に酒の友あり年忘
はつ雪や医師に酒出す奥座敷
下戸一人酒に逃げたる火燵哉
盃を持て出でけり雪の中
酒と俳諧。
羨ましい、人生です。
本日・8/9・【長崎平和祈念式典/長崎原爆忌】
アメリカ軍のB29爆撃機ボックスカーが、長崎市上空でプルトニウム原爆ファットマンを投下。
長崎市街は壊滅し、約14万9千人の死者を出す。
広島、長崎はデータの収集の為に事前の空爆をせず、二種の殺戮平気を試したわけデス。
ナチスにも匹敵する残虐行為でありました、忘れてはいけません。
黙祷。
原爆忌しじまの底の鳩の声/山崎赤秋