4/14・本日・『三舟忌』
1953年1月17日~2017年4月14日
三十五歳頃より、近代短歌の源流、アララギ派に入会、短歌をはじめる。
その後、すぐに、地元新聞社などに短歌の投稿する。
多趣味で社交的、ギター&三線による自らの音楽活動や、
自己所有のPAで他人の音楽活動の支援も積極的に行っていた。
ゆんたくのリーダーでの活動は有名で、詳細はコチラ→[三線サークルゆんたく]
[三線サークルゆんたく]は、今尚健在で演奏活動を行っている。
2015年春、俳句愛好会『幹』に入会、同年秋、同人、副主宰となる。
2016年、日報歌俳壇賞の俳句部門(中原道夫選)で「秀逸賞」に選ばれる。
同年、俳句愛好会『幹』新潟学習会責任者となり意欲的に後輩の指導に当たる。
また、中原道夫先生の新潟句会「とねりこ句会」にも参加して交流を深める。
2017年4月14日、心筋梗塞にて急逝。
以下、「秀逸賞」に選ばれた時の三舟氏本人のブログ引用。
~2016年10月17日~
やったぁ~♪。
今年3~8月に掲載された、
紙上の作品(毎週入選3句×25週=75句)が対象となる、
新潟日報歌俳壇賞の俳句部門で「秀逸賞」に選ばれたヽ(^。^)ノ。
25年やってきた短歌を以ってしても、昨年は佳作(毎週入選4首×25週=100首)の上位に食い込むのがやっとだったので、
俳句を作り始めて2年ちょいで目標にまた一歩近づいたのが、素直に嬉しい。
知人たちのメールや娘の画像で、大喜びした十日町での朝だった。
本日、新潟市内にて、俳句愛好会『幹』は、「三舟同人を偲ぶ会」を行います。
合掌。
旧暦四月十四日・【高杉晋作】忌日。

慶応3年4月14日は、幕末の最大の英雄にして、鬼才の人、【高杉晋作】の命日です。
松下村塾の双璧(ほか、久坂玄瑞)、また松下村塾四天王の一人(ほか、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一)と呼ばれ、
そして、あの司馬遼太郎が、日本の歴史上の三人の天才的戦略家(ほか、源義経、織田信長)の一人と評した人物デス。

また、奇兵隊の開闢総督にして、招魂社をはじめて開設した人物でもあります。
高杉晋作は、私の尊敬する日本人には入っておりません、なぜなら夭折したからです。
坂本竜馬、久坂玄瑞も同様であります・・・。
DE、有名な!!!
~伊藤博文の碑文~
動けば雷電の如く、
発すれば風雨の如し
衆目駭然(がいぜん)として
敢えて正視するものなし
これわが東行高杉君に非ずや
~~~~~~~~~~~~~
う~ん、すごいですよね。
DEDE、こちらも有名な漢詩!!!
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猛烈奇兵何所志
要将一死報邦家
尤欣名遂功成後
共作弔魂場上花
弔む羅和留 人尓入るべき 身なり志尓
弔む羅宇人となるそ は津か志
謹弔
霊魂
故 奇兵隊士 東行狂生
慶応元年八月 招魂場祭事
《読み下し》
猛烈の奇兵 何の志す所ぞ
一死を将(も)って 邦家に報いんと要す
尤(もっと)も欣(よろこ)ぶ 名を遂げ功成りて後
共に弔魂場上の 花と作(な)らんを
弔らわる人に入るべき身なりしに
弔う人となるぞはずかし
~~~~~~~~~~~~~
*桜山神社[桜山招魂場]*


日本、初の招魂場(招魂社)
文久3年(1863年)、高杉晋作発案者により、下関に奇兵隊が管理する招魂場を建設されました。
その後、いわゆる靖国神社の前身【東京招魂社】が、明治2年(1867年)明治2年6月29日、鎮座しました。
高杉晋作のインテリジェンス、先見性、器量、度量、他の追随を許さじ・・・・・。
伝説的、高杉晋作の名言を以下に、
「いまの場合、
一里行けば一里の忠を尽くし、
二里行けば二里の義をあらわす。
尊王の臣子たるもの一日として安閑としている場合ではない。」
高杉晋作のたくさんのエピソードは機会があればまた。。。。。