2018/04/28【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
春の季語、【踏青/とうせい】でした、他、春の自由題。

投稿いただいた会員の皆さんには、
添削&アドバイスを五月十日ごろまで送付します。
さて、次回の兼題は、【葉桜/はざくら】初夏の季語です。

桜の花が散り若葉が出始めた頃、新緑の季節の桜ですね。
今、晩春ですが、今年は桜の散るのが早かったので旬?の季語ですね。
では、葉桜をどのように詠むのか?
咲き誇っていた桜が、葉だけになってしまったという花を惜しむ思い・・・。
新緑の萌えたつ五月の初々しい桜若葉の美しさを愛でる思い・・・。
それぞれ詠むも良し、その二つを交錯させて詠むも良し、広がりのアル季語です。
傍題の「花は葉に」は、
桜の花を特別に懐かしみつつ花を忍ぶ思いが強い季語です。
【葉桜】とは、ちょっと感じが違います、キチンと使い分けましょう。
桜が散って寂しい気持ちがある半面、
新緑の時期に逞しく益々色を濃くした葉桜に勇気付けられます。
風はまだ少し冷たいですが、初夏はすぐそこです。

では、例句と解説。
【葉桜や昔の人と立咄(たちばなし)/正岡子規】
子規30歳(明治31年)の作品です。
1896年(明治29年)、脊椎カリエスを発症と診断され、
1899年(明治32年)、夏以後は座ることさえ困難でした。
この頃(明治31年)の子規は、
歩く事はできなくなっていた為に人力車で外出していました。
桜の満開の頃は自然に見上げていた桜並木も、
葉桜になれば、桜の木にとらわれる人は少なくなる。
そんな頃、子規は旧友?にバッタリ会って話しこんだのでしょう。
この句、地味ではありますが、余韻の残る子規らしい句だと思います。
子規は葉桜の句を、この年以後に詠む事はありませんでした。
【葉桜の中の無数の空さわぐ/篠原梵】
騒いでいるのは葉桜ではない、葉と葉に細かく分断された五月の【青空】だっ。
最初は葉桜の木漏れ日の光一つ一つに、心を奪われていたに違いない。
しかし、初夏の風の戦(そよ)ぎに合わせて、葉桜により細断された無数の青空の間隙が騒ぎ出したのだ。
【の】を繰り返すことにより、小休止が生まれ、斬新なリズムを奏で、いつまでも空は騒ぎつつけるのであります。
【葉桜の陰にみおくる背中かな/小栗釣月】
身内や友との別れは春ばかり・・・。
納骨、そして、心が落ち着く頃は初夏、葉桜の頃。
また、季節はずれの決別も初夏ではないのか。
みおくる背中は死者であり、不本意に去り行く者でもアル。
去り行く者への哀愁、そしてそれでも生き続けていく自分。
生きる覚悟と心の再生を新緑に願った鎮魂歌でもあります。
【葉桜や橋の上なる停留所/皆吉爽雨】
この桜は山桜でしょう、まったりとした時間の流れる初夏。
葉桜を見つめ、
満開の時期はさぞかし美しいのだろうなど思いながら、
新緑の若葉の青さに眩しさも交差する一時・・・薫風も感じる。
バスを待っている作者は桜並木を漠然と眺めている。
そしてただそこにいる自分だけが自然の中にシッカリと浮き上がる。
【葉桜となりて失ふものあらず/西川五郎】
桜が散るとまるでふっきれたように葉が青々と茂る。
とても潔い良いのだ、散った悲しさよりも、
再生のエレルギーの情熱の方が強いのかもしれない。
作者も桜と共に、何かを失った・・・、
いや、たぶん、自ら、捨て去ったのでしょう。
開き直った心に、初夏の風が吹き空が晴れ渡る。
【葉ざくらや人に知られぬ昼あそび/永井荷風】
まったくもって、荷風らしいとしか言いようのない句。
夜はキャバレーやストリップへ足繁く通い、
また、有名な芸妓と浮名を流し・・・詳細は『断腸亭日乗』を読むべし。
で、さて、昼はナニをしているかと思えば・・・・、
コレである、まぁ、アカラサマにできない女性との関係でしょう。
遊びが女給や私娼へと傾倒していた時期かもしれない。
夜の喧騒の中では大勢と戯れ、
真昼の深い静けさの中では一人と?戯れる?
エロスという言葉が似合う、生粋の遊び人であります。

他、夏の季語で自由題とします。
締切は5月27日です。
羊羹さんのお庭・・・など・・・。
*【café Dal】*
住所:胎内市西条53番17
電話:0254-28-7776 【café Dal・WebSite】
時間:OPEN07:30/CLOSE18:00
定休日:毎週火曜日&第3月曜日(予定)

DE、アチコチ行ってから、羊羹さんトコDEお風呂に入る。
DEDE、羊羹さんのお庭・・・、
これから百花繚乱TO薔薇の花が咲き乱れます。


今年は、五月の中旬が薔薇のピークらしい、楽しみです。
あ、珍しいモノが・・・薇デスね。


羊羹さんからタクサンの御土産を頂いて帰宅しました。
大感謝♪