5/20・本日・『海野厚/うんのあつし』の忌日。
この句は間違いなく「背くらべ」の歌を意識して書かれている。

1896年8月12日~1925年5月20日
渡辺水巴に師事、俳号は長頸子/ちょうけいし。
俳句機関誌『曲水』の同人。
雑誌『海国少年』の編集長。
北原白秋に認められ童謡詩人の道にすすむ。
俳句のみならず、短歌、詩、童謡の作詞、小説も書き、
子どものための雑誌の編集も手がける、多才であった。
肺結核のため、28才の若さで夭折。
俳人としてよりは、
童謡 「背くらべ」、「おもちゃのマーチ」など、
作詞家と言った方が、なぁ~るほどって人物ですね。
「背くらべ」 詞:海野厚/曲:中山晋平
1、
柱のきずは おととしの 五月五日の 背くらべ
ちまきたべたべ にいさんが はかってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何のこと やっと羽織の ひものたけ
2、
柱にもたれりゃ すぐ見える 遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして てんでに背のび していても
雪の帽子を ぬいでさえ 一はやっぱり 富士の山
「おもちゃのマーチ」 詞:海野厚/曲:小田島樹人
1、
やっとこやっとこ くり出した
おもちゃのマーチが ラッタッタ
人形の兵隊勢揃い
お馬もわんわも ラッタッタ
2、
やっとこやっとこ ひとまわり
キューピもポッポも ラッタッタ
フランス人形も 飛び出して
笛吹きゃ太鼓が パンパラパン
俳句はみつからなかった。
残念。
空豆とビールは友達♪
5/20・本日・【荻原井泉水/おぎわら せいせんすい】の忌日。
秋田言葉にすすめらるる梨の大きやか
筆採る我にひそと炭つぐ母かなし
空をあゆむ朗朗と月ひとり
月光ほろほろ風鈴に戯れ
落葉の、これでも路であることは橋があって
力一ぱいに泣く児と啼く鶏との朝
わらやふるゆきつもる
棹さして月のただ中
水おと梅開く
本日は、
自由律句俳人の、荻原井泉水/おぎわらせいせんすいの命日です。

1884年(明治17年)6月16日~1976年(昭和51年)5月20日
荻原家は祖父の代まで、越後国高田(現・新潟県上越市)に在住。
麻布中学の頃より俳句を作り始める。
新傾向俳句機関誌「層雲」を主宰。
河東碧梧桐もこれに加わるが後に、
井泉水の無季自由律俳句の提唱を異とし袂を別つ。
門人に、種田山頭火・野村朱鱗洞(しゅりんどう)、芹田鳳車(ほうしゃ)、尾崎放哉???。
山頭火は、正式に層雲に加盟していた弟子?であっただろうが、
放哉については師筋ではあったが、個人的な繋がり?であったような・・・。
三大自由律俳人[井泉水・山頭火・放哉]の、この三人が一同に会したことはない。
私見であるが自由律句は孤高の天才のみの作品であろう。
句集、評論・随筆、膨大。
【井泉水忌】
井泉水忌あを空の深きより/井上康明
緑ゆらめきて井泉水忌とこそ言わめ/伊沢元美
では、さらに、井泉水の句を。。。
火種愛しく我息かける
若葉わさわさ風におどる喜び
蝶、天の一方よりおりてきて舞う
美し骨壺牡丹化られている
昼の淋しさどてら着て顔を剃らせる
枯野に大きなひまわりの花、そこに停車する
尼さま合掌してさようならしてひぐらし
この水年暮るる海へ行く水の音かな
すべてを失うた手と手が生きて握られる
ただに水のうまさを云う最期なるか
どちら見ても山頭火が歩いた山の秋の雲
放哉を葬る
痩せきつた手を合わしている彼に手を合わす
碧梧桐告別式
君もわたしも立ちつづけて冬の木、影をひく
著書、『放哉という男』読みました。
俳句をする人は必読でデスよ♪♪♪
「佳句の少ない事、駄句の多いことなど決して恥になることではない、
ただただ進むがいい、進めば通ずる、通ずれば達する。
つまり、絶えず試みるといふ気持こそ、常に自分を創ることになつてくるのである」
by荻原井泉水