さて、酒宴が始まります。
Chu-Lip(TULIPのE系カバー:sextet)
と、
サボテンズ(TULIP&BeatlesのA系カバー:quartet)
と、
Van-Colors(吉田拓郎のE系カバー:quintet)
の、地元メンバーによる飲み会。
全員揃うのは一年ぶりか???
でで、今夜はエンドレスの予定(笑)
塩鮭・新巻・荒巻・塩引など・・・。
十一月十一日・本日・【鮭の日】

「鮭」の文字が、魚編に十一十一であることから、
11月11日を「鮭の日」に制定しました。

発祥は村上市です、
ご存知の通り我が郷土、
村上は歴史ある「鮭のまち」であります。

本日は、鮭魂祭(けいこんさい)が行なわれます。
鮭魂祭とは、鮭を神殿に奉納し、自然の恵みに感謝する行事デス。

他、村上の観光はココをクリック→【村上市観光協会HP】
越後村上の鮭は、塩引であり、新巻じゃありません。
興味のある方は、ググッて下さい。
鮭の事ならココ!→『イヨボヤ会館のHP』
しかし、村上市のユルキャラのサケリン。

う~ん、どうなの[笑]
ま、いいけど・・・・。
11/11・本日・【亞浪忌/あろうき】
夕千鳥一叢芦の淋しけれ
卯の花や夕べの道の谷に落つ
雲せめぐ空に散り葉の相追へり
石蹴りの筋引いてやる暖かき
鵯のそれきり鳴かず雪の暮
底つ火に我が魂通ふ霧の中
かつこうや何処までゆかば人に逢はむ
いつか円ろくなりしこの月よ雪の旅
11月11日、本日、臼田亞浪(うすだあろう)の忌日です。

1879年(明治12年)2月1日~1951年(昭和26年)11月11日
元は新聞記者、大須賀乙字の影響を受けつつ、
俳誌、『石楠』を創刊主宰し、大正の俳壇に登場するや、
自然礼賛を唱えて俳壇の革新を推進し、一句一章説を提唱。
昭和26年没するまで、
旺盛な作句活動をするとともに多くの俊英を育てた。
有名な門下生は、大野林火、篠原梵、原田種茅など。
「先師の萩盛りの頃やわが死ぬ日」が大野林火の辞世の句・・・先師は亜浪。
また、高らかに、高浜虚子の花鳥諷詠、や、新傾向句、
河東碧梧桐、荻原井泉水などの自由律俳句に反旗を翻し、
どうどうと批判し、松尾芭蕉、上島鬼貫を慕い、蕪村の如く芭蕉へ返れと説いた。
また、自然の中にこそ真の俳句があると唱え、
民族詩としての創作に邁進した唯一無二の異端児・・・。
また、初期の頃には字余りの句を多作、後に、季重なりさえも厭わず、
定型よりも実情実感を尊重する方式にて、俳句を自立させる事に挑んだ。
大正7年(1918年)『石楠』創刊の同志であった乙字と内紛により決別したのは残念であった。
【亞浪忌】
亜浪忌の馬齢のみ師に近づくや/大野林火
落葉降り止まず亜浪忌師と行けり/松崎鉄之介
亜浪忌の夕鵙猛る城に在り/佐藤輝城
亜浪忌の戻り月出て別れえず/原田種茅
亜浪忌の近し火山のしぐれぐせ/溝口青於
亜浪忌や千曲は今し霧こめむ/金子麒麟草
亜浪忌や師系一つに四十年/冨田みのる
ほそぼそとつづく亜浪忌守りけり/大野林火
では、亞浪の句を少々。
春泥をゆく声のして茜さす
コスモスへゆきかまつかへゆき憩ふ
凩や雲裏の雲夕焼くる
雲雀あがるあがる土踏む足の大きいぞ
栂風も添ふ山鳴りや霧の中
氷挽く音こきこきと杉間かな
寒鰍水底の石に喰ひ入りぬ
我が影に家鴨寄り来ぬ水の春
岩床走る水の冷たき崖椿
潮あとの海月とろけつ昼霞
石一つ一つ光りをる霜の月
芦生ふるかぎり潮押す朧かな
雪霞野の萱骨のとげとげし
鵜の嘴のつひに大鮎をのみ込んだり
舌さらさらといつまで残る茗荷の香
新涼や夜のはなれゆく浜篝
七夕や灯さぬ舟の見えてゆく
蜻蛉猛し茜濁れる風の空
石楠花の山気澄まして暮れゆくか
誰もゐねば火鉢一つに心寄る
囀りの一木が日向つくりをり
亞浪が有名でなく、亞浪の句に接する機会が少ないのは、
昭和期随一と言われた、俳論家の山本健吉の影響が大きいだろう。
山本は、切字・季語・定型・滑稽感・・・虚子の花鳥諷詠のみを支持した。
残念なことである。