水仙の花言葉は、 「うぬぼれ」
めぐみさん失踪四十一年・・・政府はナニをやっている。
11/15・本日・『七五三』
数え年で男の子は3歳と5歳、
女の子は3歳と7歳。
子供の健やかな成長を祝い、神社に参詣します。

15日になっている理由は7+5+3=15だから・・・[諸説あり]。
(^_^)v
この年中行事いろいろあるんです。
詳しくはココをクリック→『七五三.wikipedia』
女の子用衣裳はとても可愛くて、
長女の七五三を懐かしく想い出します。
(T_T)
そういえば、巫女の踊りつきだったな!

いろいろな理由があり、
次女の七五三が出来なかった、
本人はまったく気にしていないようだが、
私的に、かなり負い目がアル・・・。
平日はなかなか行けないので土日がピークでしょうか。
晴れますように♪
七五三細きうなじの願ひ事/武岡東西
親子して茶髪の似合ふ七五三/関正夫
もう一つ父の手が欲し七五三/阿部寒林
とつとつと鳩の付きくる七五三/高野清風
七五三父の背中に深眠り/河合笑子
旧暦十一月十五日『坂本龍馬』の命日。
【日本を今一度せんたくいたし申候】
【世の人は我を何とも言わば言え我が成す事は我のみぞ知る】
【時勢に応じて自分を変革しろ】
【人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。】
【人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。】
坂本龍馬を知らない日本人はちょっとヤバイですよネ。

天保6年11月15日〈1836年〉~慶応3年11月15日〈1867年〉
誕生日&命日が同じなんです。
坂本龍馬の命日に当たる本日、
高知市内でさまざまなイベントが行われます。
「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども、度量の大、
龍馬に如くもの未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず。」
これは、かの、西郷隆盛の言葉です、凄い賛辞ですね。
では、龍馬の師匠、勝海舟の日記、
~氷川清話~から【竜馬】のくだりを引用します。
『坂本龍馬がかつておれに、先生しばしば西郷の人物を称せられるから、拙者も行て会って来るにより、添書をくれといったから、早速書いてやったが、その後、坂本が薩摩からかえって来て云うには、なるほど西郷という奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろうといったが、坂本も中々鑑識のあるやつだよ』
『土佐では、坂本と岩崎弥太郎、熊本では横井と元田だらう。坂本龍馬。あれは、おれを殺しに来た奴だが、なかなか人物さ。その時おれは笑って受けたが、おちついてな、なんとなくおかしがたい威権があって、よい男だったよ。』
もう一つ、
陸奥宗光が坂本龍馬を語った有名な回想録を御紹介。、
ちなみに、この人物は、紆余曲折の後、新政府に使え、
カミソリ大臣の異名をとり、日米不平等条約の改正を成し遂げた、
鬼才であり日本外交史を語る上で忘れられない超一級の政治家です。
陸奥は、
「わしは世界の海援隊をやりますきに」
と、龍馬が言った、その場に居合わせた唯一の海援隊の隊士でもある。
「龍馬が西郷より、一枚も二枚も上手に見えた」
と、幾度も幾度も語ったと言われています。
その真贋は別として陸奥は龍馬に惚れこんでいました。
で、回想録は以下。
『坂本は近世史上の一大傑物にして、
その融通変化の才に富める、
その識見、
議論の高き、
その他人を遊説、
感得(説得)するの能に富める、
同時の人、
能く彼の右に出るものあらざりき。
[中略]
薩長二藩の間を駢合(薩長同盟)せしめ、
土佐を以て之に加はり、
三角同盟を作らんとしたるは、
坂本の策略にして、
[中略]
以て無血の革命を遂げんと企てぬ。
彼、
もとより土佐藩の一浪士のみ』
カッコイイのですよ。
まぁ、私は、司馬先生の竜馬がゆくno龍馬が一番好きですがネ。

高知県立坂本龍馬記念館のHPはコチラ→【坂本龍馬記念館】