ネギをたくさん頂いた・・・根深汁。
旧暦・元禄十三年十二月六日・水戸光圀(黄門)の命日。
光圀が亡くなるとこんな狂歌が流行ったとか。
「天が下 二つの宝つきはてぬ 佐渡の金山 水戸の黄門」

で、水戸藩主・徳川光圀と言うのが正しい、
黄門とは、光圀の官職である権中納言の中国名。
また、副将軍と言う役職は、幕府にはアリマセンでした。
いわば、幕府も黙認した、俗称TO言う事になりますデス。
エピソードはあまりに多い・・・。
但し、講談などによるフィクションも多数ありご注意。
もちろん、諸国漫遊などが、完璧なフクションでアルと言うのは周知の事実。
私が知る限り、冲方丁著の「光圀伝」などは、かなり史実に近いように思う。

さらに、私の光圀論?の、ようなモノはコチラをクリック→2010/2/23[五代将軍【徳川綱吉】の功罪?]