俳句愛好会『幹』忘年会ご報告。
酒宴前に、某と会う。
新蕎麦を御馳走になる。


あれこれ相談にのる、そこそこアドバイスできたと思う。
で、一緒に、○○○○○○に行って、
◇◇◇◇◇◇にも行って、さらに、◎◎◎◎◎も行く。
結局、ヘトヘトになる?・・・長い休憩後、酒宴へ。
風邪やら、ナニやらで、少数精鋭(笑)の酒宴でした。
会場は、お初、「チューリップと鯱」ココが大当たりでした。
≪居酒屋・ちゅーりっぷと鯱・新潟駅前店≫


安い・旨い・早い・センスが良い・従業員もGOOD。
飲み放題の銘柄が一流品、素晴しい。
で、料理はこんな感じ・・・。






他にデザートなど、アレコレも付く。
大満足DEありました、でで、完全予約制であります。
HPはこちら→「チューリップと鯱・新潟駅前店」
俳句の話、各々の演奏活動の話、小説、映画。
とにかく話題は尽きないワケでありまして、楽しい夜でした。
会員の皆さん、ご馳走様でしたぁぁぁぁぁぁ♪
1968年(昭和43年)12月10日・午前9時30分頃・三億円事件発生。
12/10・小沢昭一の命日。
でも悪魔相手に勝負するのは相当面白い。
笑う悪魔、泣く悪魔、感動する悪魔になってもらおうじゃないかってね。
作った句のなかから提出句を自選するのには、いつも迷います。
しかも、自信作が全く抜かれず、切羽つまってシブシブ投句したのが好評だったりする。
時計屋の微動だにせぬ金魚かな
少年の日をふと思う夜や冬近し
梅雨空や土管で遊ぶ子供たち
天瓜粉して校庭の映写会
その晩のうちにこわれて走馬燈
何捕りに行くか父子(おやこ)の夏帽子
懐爐(かいろ)の火吹く早暁の釣りの宿
ビール買いに走る女(ひと)あり友訪(と)えば
足の先出してうとうと春炬燵
蝙蝠や帰り仕度の大工たち
マスク一つ踏まれてありぬ終電車
十薬の花やはばかり借りる庭
グラジオラスもと女教師の四畳半
いきいきと生きたしと思う鳥渡る
春愁や和而不同とはいえど
秋彼岸父に似てきし声音かな
女房をいとしと想い年つまる
本日は、俳優、タレント、俳人、エッセイスト。
元放送大学客員教授にして日本新劇俳優協会会長。
小沢昭一の命日デス。

俳号は変哲。
劇団「しゃぼん玉座」主宰&見世物学会顧問。
TBSラジオの『小沢昭一の小沢昭一的こころ』は面白かったヨ。
で、俳人「変哲」の事。
1969年(昭和44年)に入船亭扇橋(故人)を宗匠にして、
永六輔(故人)、江國滋酔郎(故人)らと共に「やなぎ句会」を発足。
2015年に、宗匠が84歳で病没するまで続いたようです。
「やなぎ句会」メンバーの句集など俳句関連の出版物はとても多い。
どれもちょっと風変わりで面白い、俳句を好きな人は一読するべしっ。
疲労困ぱいのぱいの字を引く秋の暮
ふろふきや猫嗅ぎ寄りて離れけり
円鏡のラジオやせわし年用意
まだ稼ぐのど温めん初湯かな
母の日の常のままなる夕餉かな
虎造と寝るイヤホーン春の風邪
湯豆腐や隠れ遊びもひと仕事
スナックに煮凝のあるママの過去
床に児の片手袋や終電車
夕顔やろじそれぞれの物がたり
もう余録どうでもいいぜ法師蝉
寒月やさて行く末の丁と半
夕立ちや小言もにぎる江戸かたぎ
なにはさてあと幾たびの晦日蕎麦
黄泉路川(よみじがわ)小巣越すも越さぬも春の風
囀りや野を絢爛と織るごとく
祭屋台出っ歯反っ歯の漫才師
「最初は俳句を口実に集まって、遊んでいるような心持ちでしたが、そのうちだんだん句作が面白くなってまいりました。それは、俳句を詠むことで、本当の自分と出会えることに気付いたからです。今までに詠んだ句を集めましたら、およそ四千にもなりました。改めて眺めてみますと、どの句にも『自分』というものがチラチラと出ているように思えます。特に『駄句』にこそ私らしさ が現れておりますので、あれこれ選ばず、恥ずかしながら詠んだ句全てを載せさせていただきました」。
by『俳句で綴る変哲半生記』
【沈黙して辞退しろ・2018】

本日、12月10日は、
Alfred Bernhard Nobel/アルフレッド・ベルンハルド・ノーベルの命日です。
(1833年10月21日~1896年12月10日)。
ゆえに、ノーベル賞の授与式となります。
まずは、
本年2018年のノーベル医学生理学賞を授与される、
本庶佑(ほんじょたすく)特別教授には、心からお祝いを申し上げたい。

誠に誠に、おめでとうございました。
さて、ノーベル賞と言うと、
毎年苦々しく、思い出されるのが、
非常識な発言をした、O江K三郎氏であります。
そもそも、O江K三郎氏は、
反核・反戦・平和・人権等を標榜し、
日本の過去の戦争行為などには、
自虐的にトコトン批判しておりました。
ならば、多くの人類を殺す・・・殺戮兵器、
ダイナマイトの発明者が設立したノーベル賞を、
嬉々として貰う節操の無さは如何なものか、と・・・。
さらに、
ノーベル文学賞受賞者に、
慣例として与えられる、
【日本国の文化勲章】の受賞を、
O江K三郎氏が、ノーベル文学賞受賞の翌日に、
【クダラナイ】と発言を加えて辞退したことであります。
辞退した理由は、
「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」
「戦後民主主義者に国民的栄誉は似合わないから」
と言うものでした・・・ふざけるなTO言いたい・・・。
外国の賞は貰うが、日本国民によって贈られる文化勲章は、いらないワケだっ。
ノーベル文学賞受賞後の、2002年にはフランス政府からのレジオンドヌール勲章を受章しています。
帝国主義が主流だった頃の、日本のアジアにおける、植民地支配をあれだけ非難しておいて、
フランスのアジア・アフリカの日本以上に過酷だった、植民地支配は問題ないワケですね。
自国の賞はいらない。
外国の賞は有り難く頂戴スルという・・・この矛盾的行為・・・。
いっそのこと、すべての賞を辞退すればいいのにサ・・・・・。
では、O江K三郎氏に、
私は、問いたいのです、
戦後民主主義者とは、いかなるものなのかと?
ならば、【文化勲章】を受けた人々は民主主義者ではないのか、と?
O江K三郎氏の発言は、自己中心的で、
あまりにも、日本国民や、天皇陛下を、馬鹿にした発言ではありませんか。
文化勲章は、皇居内の宮殿で、天皇陛下から直接授与されるものです。
無礼極まりない・・・・不敬である、ま、所詮は左派の魍魎か・・・・・・。
ちなみに、同胞?の、
故筑紫哲也氏にまで批判された時は、超ざまぁ~みろTO思った次第っす。
DE、なんであれ、
個人が貰うモノは【いりません】と、
言って良いと、私は思うワケですよ、
それこそ、個人の自由でありますが・・・しかし・・・・。
それならば、
辞退するのならば、
【沈黙】して、
【辞退】すれば良いのだ、馬鹿者。
DEDE、敬愛する、作家の曽野綾子氏のお言葉を引用して・・・・、
溜飲を下げたいと思います。
『安全な日本に住み、
日本の社会構造の恩恵だけは受けながら、
日本人民の選んだ国家の形態を拒否して見せるのが、
かっこいいとするのは、
甘さというものである。』
さすが、曽野綾子氏・・・・・・・完璧です。