2018/12/24/【Christmas Eve】.
Christmas/クリスマスは、
イエス・キリストの降誕祭(誕生祭)の意味。
いわゆる、一般的なお誕生日?
ってコト、DE、良いでしょうか?、
う~ん、実は違うのね・・・難しい。
DEDE、 Eveは前夜CHU~コトでざっくり良いでしょう・・・、
ケーキ食べる日じゃないから念のため(笑)
そもそも、本当に・・・、
イエス・キリストが、
12月24日に生まれたかどうかは、
諸説あり・・・ちょっち、疑問が・・・・、
なぁ~んてことは考えてはいけません。
いいんです、信じるものは救われます。
あのぅ~、イヴの考え方もCHO~大変で、
説明がややこしいんで、コレ、見て下さいませ♪
あ、宗派によっても若干違いますよ~。

わかんない人は、ググッテ下さいませ。
DEDEDE、やぱっり、【Christmas Eve】は♪
雪が似合いますネ。
できれば、『White Christmas』がいいですよね~。
こちらの地方の、本日の予報は雪なんですが、
ほんのちょっとだけで良いので、多く入りません。
で、聖夜と言えば、このクラシックギターの名曲♪
Lo Noi de la Mare/聖母の御子(スペイン・カタロニア民謡)
演奏はこちら→【聖母の御子by秋山公良】
人逝けりクリスマス・イヴの地下室に/成瀬櫻桃子
イヴの夜は耳やわらかき犬といる/佐藤和子
イヴの夜のサンダソニヤが傍らに/後藤比奈夫
クリスマスイブのドレスを吊しけり/福地真紀
クリスマスイヴに届きし訃報あり/桑田青虎
クリスマスイヴ満月のいとほしく/芝尚子
クリスマスイブ飲みかけの赤ワイン/倉持梨恵
クリスマスイブ香り立つラフランス/岩木茂
でで、やっぱ、今宵は、これですかね。

~山○達△~
□は夜更け過ぎに
雪へと△わるだろう
Silent night, Holy night
きっと○は来ない
ひとりきりのクリ○マス・イ○
○ilent night, □oly night
心□く 秘めた□い
叶えられそうもない
必ず○夜なら
言えそうな○がした
Silent ○ight, Holy nigh△
皆様の魂に安らぎアレ♪
1997/12/24・三船敏郎no命日。
外国では、The Wolf&The Shogunなどとも呼ばれ、各方面に影響を与えました。
77歳没・・・。

1920年4月1日~1997年12月24日
三船の傑作は、黒澤明とタッグを組んだ、
『用心棒・1961年(昭和36年)』と、

続編的作品である『椿三十郎・1962年(昭和37年)』ですWA。

「三船無くして黒澤無し」と言われる由縁です。
あ、もちろん、『七人の侍』も傑作ではありますが・・・。

他、『男はつらいよ 知床慕情・1987年』も良かったなぁ~。
とにかく、モノクロでも、三船敏郎主演の映画を観て欲しい。

映画として、役者として、まったく格が違うのです、別次元です。
三船敏郎主演の映画を観ずして、日本映画を語ること無かれ、DEあります。
聖夜。
旧暦十二月二十四日・【蕪村忌/ぶそんき】
酒十駄(樽二つが一駄)ゆりもて行(ゆく)や夏こだち
遅き日のつもりて遠きむかしかな
ほととぎす平安城を筋かいに
春雨にぬれつつ屋根の手毬かな
菜の花や月は東に日は西に
夏河を越すうれしさよ手に草履
鮒鮓や彦根の城に雲かかる
四五人に月落ちかかる踊りかな
これきりに径尽きたり芹の中
高麗舟(こまぶね)のよらで過ぎゆく霞かな
稲妻や浪もてゆえる秋津島
さしぬきを足でぬぐ夜や朧月
旧暦、十二月二十四日は、
俳諧師であり画家の与謝蕪村の忌日です。
俳号は蕪村の他に「宰鳥」・「夜半亭(二世)」など、
画号は「春星」・「謝寅(しゃいん)」など。

享保元年(1716年)~天明3年12月25日(1784年1月17日)
もぅ~、偉大すぎてどこから説明すれば良いのかわかりません[笑]
略歴はこんな感じです。[サントリー美術館/若冲と蕪村のモノ借用]
大坂の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。
27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。
その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました。
松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人であり、
江戸俳諧中興の祖と言われています。
芭蕉~蕪村~子規と連なる、
三大俳聖[私のの勝手な]と言っても、
過言ではアリマセン。
蕪村がいなければ、
現在の俳句の隆盛はありえないでしょう。
また、俳画の創始者でもあり、
それゆえに、俳句と絵の融合を行い、

写実的とも絵画的とも称される、
俳風を作り上げます。
さらに、
マンネリで俗物的な傾向にあった、
当時の俳諧を否定しながら、
『蕉風回帰』を唱え、
絵画用語である『離俗論』を句に適用して、
いわゆる天明調の俳諧を確立させた、
一番の功績者であります。
後に正岡子規は、
蕪村の俳諧革新に大きな影響受け、
明治の俳句大改革を行います。
子規の著書に『俳人蕪村』(講談社文芸文庫)があります。
【蕪村忌】&「春星忌」
蕪村忌に呉春が画きし蕪かな/正岡子規
蕪村忌や画中酔歩の李太白/水原秋櫻子
蕪村忌の心游ぶや京丹後/青木月斗
蕪村忌やをんなのすこし着飾りて/黒田杏子
鷹の羽を拾ひ蕪村の忌と思ひ/萩原麦草
母の句に甘き選者や春星忌/安住敦
街騒を潮騒と聴き蕪村の忌/鍵和田釉子
で、蕪村の代表的な句・・・、
う~ん、名句が多すぎて絞れない。
でで、俳諧味溢れる句を幾つか。
化けさうな傘かす寺のしぐれかな
河童(かわたろ)の恋する宿や夏の月
酒を煮る家の女房ちよとほれた
河豚汁のわれ生きている寝ざめ哉
嵐雪とふとん引き合ふ侘寝かな
甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋
ででで、有名な句を幾つか・・・。
ゆく春やおもたき琵琶の抱きごころ
やぶ入りの夢や小豆の煮えるうち
牡丹散りて打かさなりぬ二三片
畑うつやうごかぬ雲もなくなりぬ
五月雨や大河を前に家二軒
夕風や水青鷺の脛をうつ
不二(ふじ・富士山)ひとつうづみ残して若葉かな
朝顔や一輪深き淵のいろ
月天心(つきてんしん)貧しき町を通りけり
白露や茨の刺にひとつづつ
山は暮れて野は黄昏の薄かな
椿落ちてきのふの雨をこぼしけり
あ~、なんて素晴しい、
きりがないのでやめますが、
すべて映画のワンカットのようでありますネ。
最後に、
蕪村の辞世の一つといわれている一句を・・・・。
「白梅に明くる夜ばかりとなりにけり」

機会があれば蕪村の俳画についてもお話しましょう。
