2019/02/28【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
ゆえに、句会の参加者は句会の提出句の創作を優先に考えましょう。
当然、句会ではすべて新作でなくてはなりません、一句だけでも良いのです。
後程、二十一日の句会については再度ご連絡します。
さて、今月の俳句愛好会[幹]のテーマは、
【祈り・信仰・先祖】でした、他、春の自由題。
投稿いただいた会員の皆さんには、添削&アドバイスを3月11日ごろまで送付します。
で、次回のテーマは、『町・街』です。
また、季語も無理に入れる必要はありません、自由に、五七五で詠んでみましょう。
他、春の季語で自由題デス、締切は、三月二十九日です。
また、姉貴とランチに行ってきたぁぁぁ。
二月も終わる・・・二月尽(にがつじん)
二月尽雨なまなまと幹くだる/石原舟月
「二月尽」TO言う季語は、かなり新しい季語デスね。
頻繁に使われ始めたのは昭和に入ってからでありますヨ。
明治よりも昔の人は陰暦(月齢)で暮らしていたので、二月が終わることへの感慨はゼロでしたでしょうネ。
陰暦の春とは、一月・二月・三月デス、ゆえに、二月は仲春、春の訪れもを待ち望む期待感がありませんでした。
現在は違いますよね~、特に雪国では、三月を待つ気持ち、やっと二月が終わるTO言う思いは格別のモノDEあります。
ちなみに、沖縄では桜のシーズンが終わったヨシ・・・トコロ変わればDEありますね、梅、桜、早く咲かないかなぁぁぁぁぁぁ。

階段を下りて呟(つぶや)く二月尽/橋閒石
北極の旅の絵葉書二月尽/山田弘子
川幅のいくばくふとり二月尽/能村登四郎
人去りて耳朶に手をやる二月尽/平井奇散人
天敵の一尾もをらず二月尽/山田六甲
嫁ぐ娘へ小言の増えし二月尽/平居澪子
薔薇の瘤雨のうるほす二月尽/松井志津子

旧暦・二月三十日・[閏年]・本日?・【其角忌/きかくき】
其角忌やあらむつかしの古俳諧/加藤霧村


酒を妻妻を妾の花見かな
梅寒く愛宕の星の匂ひかな
うすらひやわづかに咲ける芹の花
帚木のゐぐいは是にやみの梅
鎌倉や昔の角の蝸牛
凩よ世に拾はれぬみなし栗
草の戸に我は蓼食ふほたる哉
夕立や田を見めぐりの神ならば
けさたんとのめや菖の富田酒(とんださけ)
本日、旧暦二月三十日。
俳人、【蕉門十哲の第一の門弟】、宝井其角/たからいきかく・・・・の忌日デス。

寛文元年7月17日(1661年)~宝永4年2月30日(1707年・一説には2月29日とも)
永年の放蕩や大酒が災いして、47歳の若さで早逝。
芭蕉が其角に「朝顔に我は飯食う男なり」という句をおくり、放蕩や大酒を改めるようにと願ったのですが・・・・。
草庵に桃桜あり、門人に其角嵐雪あり・・・・、
【両の手に桃と桜や草の餅】と、松尾芭蕉が二人を目の前にして詠ったとか。
また、江戸を拠点とする門人で其角だけが、唯一芭蕉の死に立ち会えました。
宝井其角の酒の句については、大先輩の句友であります。
【淀風庵】氏のHPをご参照下さい。
「酒の詩歌句集」
『同上・宝井其角欄』
とにかく異常にエピソードの多い俳人デス。
芭蕉の没後は、江戸座と言う結社の主宰となり、一躍江戸一番の超人気俳人となります。
洒落風俳諧、こんな感じの句デス、例えば・・・闇の夜は吉原ばかり月夜かな・暁の反吐は隣か時鳥。
ま、アル意味商業主義的?堕落と大衆性は紙一重ですが・・・・如何なものかとの批判も多し?
こうした豪放洒脱にして難解放蕩三昧の超インテリな人物であっただけに・・・。
凡人の私など、其角の句は複雑怪奇?と、言わざるを得ません。
そのあたりの解説はプロにおまかせです。
この本をご参照下さい。【旧ブログ・其角マニュアル本?の紹介】
【其角忌】・晋子忌・晋翁忌。
其角忌の酒飲男やとひけり/谷活東
其角忌や西相模野の紅梅花/石原八束
其角忌やすつかり褪せし句短冊/石川風女
晋子の忌硯に酒を注ぎけり/織田烏不関
煮奴にさかな上るり晋子の忌/加藤郁乎
其角忌や立並ぶべき花もなし/松瀬青々
其角忌や血抜きのしるき櫻鯛/伊丹さち子
では、其角の有名な句をいくつか・・・。
この木戸や鎖のさされて冬の月
寝ごごろや火燵蒲團のさめぬ内
やりくれて又やさむしろ歳の暮
百八のかねて迷ひや闇のむめ
朧とは松のくろさに月夜かな
うぐひすや遠路ながら礼がへし
ねこの子のくんづほぐれつ胡蝶哉
あだなりと花に五戒の櫻かな
寝時分に又みむ月か初ざくら
しら魚をふるひ寄たる四手哉
明る夜のほのかに嬉しよめが君
初雪や門に橋あり夕間暮
赤穂浪士にも出てくるんだから、たいしたお方ですネ。
旧暦・二月二十八日・本日・【利休忌/りきゅうき】
利休忌の白紙にちかき置手紙/上田日差子
二月二十八日、本日、茶聖、千利休/せんのりきゅう・・・・の忌日デス。

大永2年(1522年)~天正19年2月28日(1591年)
享年69歳。
【利休忌】・宗易忌・与四郎忌。
利久忌のがぶ飲みの茶を楽しめり/石塚友二
普段着の心大切利休の忌/阿波野青畝
利休忌やラヂオ報ずる事きびし/長谷川かな女
利休忌や茶掛かすれし無の一字/近藤一鴻
一楽二萩いづれも好み利休の忌/丹生をだまき
利休忌や極めし人のみな痩せて/齋藤實
水音の部屋に満ちたる利休の忌/高倉和子
利休忌の葦間にきゆる波がしら/神蔵器
利休の辞世の句。
「人生七十(じんせいしちじゅう)
力囲希咄(りきいきとつ)
吾這宝剣(わがこのほうけん)
祖仏共殺(そぶつともにころす)、
提(ひっさぐ)る我得具足(わがえぐそく)の一太刀(ひとつたち)
今此時(いまこのとき)ぞ天に抛(なげうつ)」
死罪の理由は現在でも多くの謎に包まれています。
一般的には、政務に関わり過ぎた?過ぎる?為に、
反利休勢力(石田三成など)に貶められた、とも言われていますが・・・はてさて?
私の家にも貼ってあります。
【利休七訓】
茶は服のよきように
炭は湯の沸くように
花は野にあるように
夏は涼しく冬は暖かに
刻限は早目に
降らずとも傘の用意
相客に心せよ
なかなかできませんネ。
m(_ _)m
不思議?・・・千家では今日(二月二十八日)の1ヶ月後を命日として会をおこなうヨシ・・・。
また両千家で日にち違うし・・・わけわからん(T_T)
似て非なる茶道の流派利休の忌/武田宗陽
現在の茶の湯のアリカタ、利休は望んだのでしょうかネ~。