2019/02/25・天皇陛下、在位30年式典。
2月24日~七十二候・その5[霞始靆 /かすみはじめてたなびく]
2/24・本日・『不器男忌/ふきおき』
あなたなる夜雨の葛のあなたかな
高浜虚子曰く、
「この句は作者が仙台にはるばるついて、その道途を顧み、あなたなる、まず白河あたりだろうか、そこで眺めた夜雨の中の葛を心に浮かべ、さらにそのあなたに故国伊予を思ふ、あたかも絵巻物風の表現をとったのである」
本日は、二十七歳で夭逝した俳人芝不器男の忌日デス。

1903年(明治36年)4月18日~1930年(昭和5年)2月24日
「枯野」(長谷川零余子・主宰)・「天の川」(吉岡禅寺洞・主宰)・「ホトトギス」(高浜虚子・主宰)
他、「鹿火屋」(原石鼎・主宰)・「葉桜」(塩崎素月・主宰)・「破魔弓」(水原秋桜子選)などの、
多くの結社で活躍、新進気鋭と嘱望されたが、句歴たった四年にて、夭逝・・・無念でしたでしょうネ~。
町空のくらき氷雨や白魚売り
柿もぐや殊にもろ手の山落暉(やまらっき・落日)
さきだてる鵞鳥(がちょう)踏まじと帰省かな
にごり江を鎖す水泡や雲の峰
うまや路や松のはろかに狂ひ凧
寒鴉己が影の上におりたちぬ
鞦韆の月に散じぬ同窓会
夕釣や蛇のひきゆく水脈あかり
北風やあをぞらながら暮れはてゝ
大舷の窓被ふある暖炉かな
ストーブや黒奴給仕の銭ボタン
永き日のにはとり柵を越えにけり
麦車馬におくれて動き出づ
向日葵の蘂を見るとき海消えし
卒業の兄と来てゐる堤かな
白藤や揺りやみしかばうすみどり
絶筆。
『一片のパセリ掃かるゝ暖炉かな』
横山白虹曰く、
「彗星の様に俳壇を通過した」
石田波郷曰く、
「不器男の句には幽惋なる情趣、遊子のかなしみがある」
芝不器男俳句新人賞HPはこちら→『芝不器男俳句新人賞』
他、毎年、不器男の故郷、愛媛県北宇和郡松野町で、『不器男忌俳句大会』が開催されています。
旧暦・二月二十四日・『内藤丈艸(丈草)』の忌日です。
以下、芭蕉臨終直前の枕頭で詠んだものである。
~うづくまる薬缶(やかん)のもとの寒さかな~
「丈草、出来たり」と芭蕉に褒められたとか・・・。
うかうかと来ては花見の留守居哉
大原や蝶の出て舞ふ朧月
淋しさの底ぬけてふるみぞれかな
慈愛の人であります、内藤丈草、蕉門十哲の一人。

寛文2年(1662年) ~元禄17年2月24日(1704年)
師、芭蕉没後の三年の間喪に服し、その間芭蕉追善の為に、千部の法華経を読誦したと言われる。
のちに龍ケ岡の西に仏幻庵を結び隠棲した、師の芭蕉はもちろん、蕉門の大勢の人々にも深く敬愛されたとのコト。
狼の声そろふなり雪のくれ
ほととぎす啼くや枝も梅桜
柊にさえかえりわたる月夜かな
初秋やをのづととれし雲の角
ねばりなき空に走るや秋の雲
ぬけがらにならびて死る秋のせみ
幾人かしぐれかけぬく瀬田の橋
黒みけり沖の時雨の行ところ
追鳥も山に帰るか年の暮
榾(ほた)の火やあかつき方の五六尺
鷹の目の枯野にすわるあらしかな
水底を見て来た貌の小鴨哉
*丈艸佛幻庵址
