どんな本を読んだらいいスカね~???Ⅱ
(-_-;)
『あの~どんな本を読んだらいいスカね~』
それは、前回解決したんじゃねーの・・・、詳しくはココ→2019/5/22・どんな本を読んだらいいスカね~???
しかし、某、曰く。
『いやいやいやいや、ワンピースを読んでいたら、カミさんがワンピースを取り上げて、貴方はなんで私の言う事が聞けないの、なんでまた漫画を読んでるの、アホ、馬鹿、死んでしまえっ』
と、またまた、メチャクチャ怒られて、その日から全然口も聞いてもらえないそうだっ。
ほとほと困まり果てた某は、もう一度真面目に本を読む事を決心したのだと言うのだが・・・。
私「あのサ~、アホ馬鹿のトコが違うんだよネ~、たぶん」
某『・・・・・』
私「それってサ~、読書しろとかサ、漫画を読むなとかサ、全然違うよね~、奥さんが怒っている本質と言うか、原因はサ、そこジャないんだよなぁ~違うんだよ」
某『え?いやー、どういう事っすかぁ~』
私「だ・か・ら・原因が他にあるのサ、夫婦の事じゃない、何か心当たりが無いワケ?」
某『いやぁ~、わかんないッス』
私「例えば、浮気がバレたとか(苦笑)」
某『浮気なんかしたら殺されますって、マジで』
私「愛されてるんだネ(笑)、だったら、結婚記念日、誕生日、旅行、他の記念日、約束した何か、忘れているのでは?」
某『俺も考えたんスけど、全然わかんないッス』
私「気づいて欲しいんだよ、もっと真剣に考えた方が良いよ」
某『ですかね~、はぁ、なんだろう・・・・』
私「じゃ、全面降服でサ、俺が悪かったって、とにかく土下座だね。」
某『はぁ・・・』
私「だって、まったく思い付かないんでしょ?」
某『・・・』
私「亭主がわからないの、他人はわからんよ」
某『・・・』目がやや潤み加減・・・。
私「うん、まぁ、何か、ヒントさえあれば、ね~。」
長い沈黙。
某『オグリンさん、どうでしょう、我が家で飲み会は?』
私「は?」
某『オグリンさんが、我が家に来る、と、言うのはどうでしょうか』
私「なぜにそうなる?」
某『だから、嫁の様子を探っていただきたいっ』
私「はっ、なんで?」
某『あの、やりかけた?いや、やりかかった???え~と、なんだっけ・・・。』
私「乗りかけた船でしょ、船・・・、う~ん」
面倒な事になったWA・・・。(-.-)
じゃんじゃん。
五月も終わるか・・・五月尽。
5月31日~七十二候・その24[麦秋至/むぎのときいたる]
麦秋や自転車こぎて宣教師/永井芙美

二十四節気の小満・末候、麦秋至。
麦の穂が実り、金色の穂をつけて収穫期を迎えた初夏の頃。
ゆえに、麦にとってのは、この時期が、ものの実る「秋」なのです。
麦穂を揺らしながら吹き渡る風を麦嵐、また降る雨を麦雨と呼びます。
他、麦星なんて星が・・・正式にはアルクトゥルス(牛飼座)ですがネ。
ちなみに、真珠星、スピカ(乙女座)は、麦星の奥さんですWA。

季語としては、麦の秋、麦秋、麦刈。

駅弁の短き箸や麦の秋/荻野美佐子
太陽は錬金術師麦の秋/杉良介
踏切で手を振る少女麦の秋/鶴田武子
あるったけ鎌研ぐ父や麦の秋/小川花久
長距離恋愛麦秋を行き来する/松永史子
麦秋の水郷棹を休めつつ/堀井浮堂
どこまでも麦秋雲の影走る/渡邊美保
原節子・小津安二郎麦の秋/吉田汀史
*映画の題は、「麦の秋」ではなく『麦秋』[1951年]

西瓜の花が咲き始めましたヨ~。

夏の季語、スイカの花が咲く季節なんですネ~。

スイカを丸ごと買ってきて大勢の友達と豪快に食べた夏の日を思い出します。
原産は、アフリカの砂漠地帯らしい。
日本への伝来は室町時代以降との説が有力。
世界のスイカの収穫量のNo1は、中国で7千万トン、日本は38万トン・・・比較にもなりませんね。

俳句では、西瓜の花もしくは花西瓜として詠みます。
如意ヶ岳西瓜の雄花ばかりかな/安原楢子
西瓜の花咲きしとて友朝電話/村田とくみ
伸び切つて西瓜の花は空を恋ふ/稲畑廣太郎
やはらかき雨に息づく花西瓜/百井芳枝
川音と土堤を隔てて花西瓜/橋本花風
花西瓜雨の晴れ間に淡路富士/酒井裕子
花西瓜黄がじりじりと日の盛り/森白梠
遠足の子らと来て知る花西瓜/瀬戸口民帆

5/31・本日・『青峰忌/ほうせいき』
出でて耕す囚人に鳥渡りけり
工女等に遅日めぐれる機械かな
曝書しばし雲遠く見て休らひぬ
蛇打つて森の暗さを逃れ出し
わが影や冬の夜道を面伏せて
日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ
月に顔さらして眠るうからかな
一木の下一石祀り青田道

1882年3月8日~1944年5月31日
本日は、嶋田青峰の忌日です。
弟と共に高浜虚子に師事。
新聞社で虚子のもと文芸欄を担当し、虚子退社後、学芸部長となり、さらに俳誌『ホトトギス』の編集も行う。
ホトトギス同人の後、『土上』を創刊主宰となるが、治安維持法による新興俳句派への弾圧事件で不当に検挙され、留置所内で喀血し釈放後は生ける屍と化しまもなく病死する・・・非業の最期であった。
自宅療養中、かつての俳句仲間たちが訪ねる事なかった、ただ唯一頻繁に見舞ったのが、金子兜太だと言われている、九条に固持した金子の立場を少しはわかる、悔しい思いをしたのだ。
だが、私は問いたい、師である虚子は、片腕であった青峰をなぜ見捨てたのかと・・・保身ゆえか?情けない話しである。
夜半の頭を庭木擦りゆく青峰忌/嶋田洋一(青峰の息子)
ホトトギス同人の小野蕪子(ぶし)と言う俳人がいる、この人物が軍部と協力?して青峰を貶めたと言われている。
主宰の虚子は・・・、軍部に協力的で聖戦俳句を次々と発表した。
戦ひに勝ちていよいよ冬日和(真珠湾攻撃礼賛)
勝鬨はリオ群島に谺して(シンガポール戦礼賛)
1942年の「俳句年鑑」の作品。
日本は南進すべし芋植うる/小野蕪子
日の本の武士(もののふ)われや時宗忌/高浜虚子
弾圧事件の進行中、虚子は一言の抵抗もなく、逆にますます軍部を礼賛しつつ協力してゆく・・・。
【花鳥諷詠】の欠片すらない、数々の戦争礼賛の句に対する虚子の言い訳は、「俳句は何の影響も受けなかった」、の、言葉だけ・・・。
ホトトギスは、弾圧者の名誉回復をする責任があったのではないか、と、思う。
新興俳句派への弾圧事件は近代俳句史の闇であり、忘れてはいけない事実です。