百合鷗(ゆりかもめ)・・・都鳥とも・・・。
12/20・本日・鰤の日。
寒鰤や指でもの言ふ糶(せり)の人/鈴鹿仁

冬の季語、鰤(ぶり)。

いわゆる出世魚。
佐渡・ズンベ→イナダ(フクラギ)→ワラサ(ニマイズル)→ブリ
東・ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ
西・ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ
12月(師走)は「鰤」が魚篇に師と書くことから+20日は「ぶ(2)り(0=輪)」の語呂合せ。
う~ん、苦しいが、まぁ、仕方が無い、私が決めたワケじゃない(笑)。
我が日本海の冬の鰤が一番旨いのだ。
寒鰤とも言う。

寒鰤や大佐渡小佐渡雲の層/皆川盤水
寒鰤のしぶきを立つる日本海/石井たを子
鰤食うて夜は海鳴りの越泊り/吉田裕志
荒るるほど佐渡寒鰤の旨さかな/小栗釣月

荒波をもどりし漢鰤提げて/邑橋淑子
飴いろに骨大根と煮たる鰤/道具永吉
鰤を裂く裸電球真上にし/久崎富美子
大かまの鰤の煮つけや一人膳/石井雲雀

鰤は、その二もあるやも・・・。
12/20・本日・【石鼎忌/せきていき】
向日葵や腹減れば炊くひとり者
今朝秋の一帆(いっぱん)生みぬ中の海
頂上や殊(こと)に野菊の吹かれ居(を)り
花影婆裟(かえいばさ)と踏むべくありぬ岨(そば)の月
蔓踏んで一山の露動きけり
夕月に七月の蝶のぼりけり
黒栄(くろはえ)に水汲み入るる戸口かな
牡丹の句百句作れば死ぬもよし
月とてる星高々と涼しけれ
秋風や模様のちがふ皿二つ
鶏冠にもえつく日あり秋の晴
雨にぬれ日にあたゝみて熟柿かな
淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守(かびやもり)

本日、十二月二十日は、
俳人の原石鼎/はらせきていの忌日デス。

1886年3月19日~1951年12月20日
高浜虚子に師事し、「鹿火屋」を創刊・主宰。
後に、虚子と対立を深め絶縁に至る。
いわゆる、『ホトトギス』の第一期黄金時代の俳人です。
ほか、第一期の俳人は、村上鬼城・渡辺水巴・飯田蛇笏・前田普羅などなど、凄いですね。
原石鼎は、自然を主観的に詠み、俳諧に新しい風を起こしました。
私は、この、鮎の二句が大好きです。

山の色釣り上げし鮎に動くかな
鮎の背に一抹の朱のありしごとし
大自然を小さい鮎で賛美した、素晴しい句です。
【石鼎忌】
かたときの山茶花しぐれ石鼎忌/原裕
一坊の冬を燈して石鼎忌/大森理恵
杉山の荒れを痛めり石鼎忌/茨木和生
杖とすることばの一つ石鼎忌/岩淵喜代子
石鼎忌眠りし山のあるばかり/角川春樹
果しなき枯野枯山石鼎忌/原コウ子
病む窓の落葉色して石鼎忌/石田波郷
石鼎の冬の句を幾つかご紹介。
雪に来て美事な鳥のだまり居る
汐木拾へば磯に冬日したたれり
短日の梢微塵にくれにけり
梟淋し人の如くに瞑る時
天つ日と我とまつはる枯野かな
美しき鳥来といへど障子内
辞世の句
『松朽ち葉かゝらぬ五百木無かりけり』
石鼎の俳句結社「鹿火屋」は、石鼎の死後に妻のコウ子が主宰となり、
のち養子の原裕が継ぎ、夫人の和子からさらに娘の朝子へと承継・・・。
現在も盛んである。
「鹿火屋」HP→俳句結社[鹿火屋]