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旧暦二月四日・本日・【大石忌/おおいしき】
京都祇園においては三月二十日。
赤穂義士、大石内蔵助良雄/おおいしくらのすけよしたか、の忌日デス。

万治2年(1659年)~元禄16年2月4日(1703年)
ご存じ忠臣蔵。
赤穂浅野家筆頭家老。
この日、大石をはじめとする義士すべてが切腹しました。
ゆえに、赤穂義士は、伝説の中で永遠に生きる存在となったわけです。
【大石忌】
叔父の僧姪の舞妓や大石忌/松本たかし
酔ひざめの頬杖はづれ大石忌/鷹羽狩行
大石忌梅一輪の桂籠,/須賀遊子
大石忌祗園の宵の春浅き/多田莎平
風呂敷にふるさとの酒大石忌/中田尚子
刀匠の銘打つ鏨(たがね)大石忌/鈴木わかば
赤穂義士の中には俳人が多く。
特に大高源吾は高名で、俳号を「子葉」(しよう)と言い、
句集(ふたつの竹)も発行しています。
他、小野寺十内は俳号を「里龍」、
茅野和助は「禿峰」、
神崎与五郎は「竹平」、
寺坂吉右衛門は「万水」、
冨森助右衛門は「春帆」、
間重次郎は「如柳」、
原惣右衛門は「来水」、
吉田忠左衛門は「白砂」デス。
【初鰹江戸の芥子(かいし)は四季の汗】と言う、
大高源吾「子葉」の句がありますが・・・・。
子葉は宝井其角と句会での交流もあり、親しかった。
で、忠臣蔵の名場面!
大高源吾と室井其角「両国橋の別れ」となるワケであります。

詳細はこちら→【十二月十三日・本日・『正月事始め』】
其角の句に、【うぐひすに此(この)芥子酢はなみだ哉】とありますが、
子葉の切腹を悲しみ【芥子】にかけて愛弟子の「子葉」の為に詠んだ句だと言われています。
子葉を偲び「子葉忌」を季語として俳句を詠む方も多いです。
大高源吾「子葉」の辞世の句。
【梅てのむ茶屋も有へし死出の山】
大石内蔵助の辞世の歌。
【あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし】
もう一つ残っているようで、こちらの歌が本当っぽい。
『極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人』
02月04日~七十二候・その1[東風解凍/はるかぜこおりをとく]

二十四節気の立春・初候、東風解凍。

暖かな東寄りの春の風・・・東風(こち)
東風は、太古より『こち』TO呼ばれていたようです。
昔の人は、春は東からやって来ると考えていました。
ゆえに、東風は春を呼ぶ風なのです。
東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ/菅原道真
梅は春告草とも言い、梅が咲き毎に春が煌めいてゆきます。
東風解凍とは、
東風が氷結していた山河、木々をを解かし始める頃・・・春の足音がすぐそこに。
東風(こち)の種類は多様です・・・春を待つ心は太古も今も同じであります。
雲雀東風寺紋の入りし軒瓦/山口たけし
夕東風や煙吐きゆく異国船/山田京子
荒東風に奪はれし帽海に浮く/泉田秋硯
海東風や殉教の士の眠る丘/松宮幹彦
椿東風さすらふ猫のとんがり目/鈴鹿百合子
梅東風や水陽炎の妻庇/浅井千代子
桜東風恋の初めの薄化粧/小栗釣月
本日より季節が新しくなります。
日本の気候、いわゆる四季のはじまりです。
で、気候とは、二十四節【気】&七十二【候】で、『気候』なのであります。
とても大切な事デス、憶えて置いて下さいマセ。
2020/02/04・本日・【立春】
とにかく、今日から春なんじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

で、
二十四節気・第1。

「春の気たつを以て也」
今日から、暦の上では《春》です。
一年の始まりは、立春からであると、現在では考えられています。
が、かつての一年のはじまりは、【冬至】が基準になっていたのデス。
冬至は一年でいちばん昼が短い日。
ゆえに、この日から少しずつ日脚が伸びる為かしら?
しかしながら、冬至を過ぎても気温はさらに下がり、冬は厳しさを増してゆきます。
では、年間で一番で寒い立春を、一年のはじめにしてはどうか?と、言う事になり。
立春に一番近い、新月の日を一年のスタートと、近年はしたようなのでありますぅぅぅぅぅ。
其の為、季節の起点は、本日、立春デス。
例年なら今日から、少しずつ暖かくなってゆくのですが、記録的な暖冬の本年は違うようですWA(笑)。
でも、春は春。
『立春』、春立つ・春来る・立春大吉。

春立つとわらはも知るや飾り縄/松尾芭蕉
さざ波は立春の譜をひろげたり/渡辺水巴
春立つや愚の上に又愚にかへる/小林一茶
春立つや昼の灯くらき山社/正岡子規
春立つや六枚屏風六歌仙/高浜虚子
天深く春立つものの芽を見たり/加藤楸邨
立春大吉夫婦の齢百五十/水原春郎
立春の海を見たくて観覧車/鶴濱節子
天上大風立春の幣畦に挿す/根岸善雄
立春の天の慄き銀の雨/小栗釣月
