春駒って、春の馬ネ。
我々の最大のストレスは人間関係ではないか?
例えば、威張っているヤツ、自分を偉いと思っているヤツ、嫌だと言っているのに強要してくヤツ、そして大きな嘘をつくヤツ。
この四つを兼ね備えてる人種は、カルト系の信仰者に多いから、困るのだっ。
私の俳句の会にも信仰者はいるが、こんな馬鹿者とは真逆である。
とても慎み深く、謙虚で、こちらから話す以外には信仰の事にはほとんど触れない。
カルト系の新宗教系に多い、嫌なヤツは。
信仰の組織で高い役職なのかヤタラ威張りチラシ。
信仰者は偉いのだそれ以外は駄目だとアカラサマで、身内贔屓。
そして、私の信仰で救ってあげたい、と、断ってるのに勧誘を続ける。
しかもDEアル。
『信仰をすれば、貴方も一皮向けるのになぁ~』などと、ほざく。
アル理由で、こんな嫌なヤツに不本意ながら定期的に、会ざるをえなかったのだが・・・。
もう、会わなくて良くなったぁぁぁぁぁぁ、超ラッキーィィィィィィ。
幸せは、突然、やってくるのだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、ルンルン♪
春山、春の山・・・木々が芽吹き始める。
2/20・「鳴雪忌・老梅忌」。
だから外来者に驕るのだが、外来者としては、それをいちいち怒らず、そういう門番の心事を汲んでやり、ていねいに脱帽しておじぎをしてやればよい。
それがいたわりの道だ。
元日や一系の天子不二の山
初冬の竹緑なり詩仙堂
矢車に朝風強き幟かな
貰ひ来る茶碗の中の金魚かな
夏近き吊手拭のそよぎかな
春雨や酒を断ちたるきのふけふ
本日は、内藤鳴雪(ないとうめいせつ)の命日です。

1847年5月29日(弘化4年4月15日)~1926年(大正15年)2月20日
鳴雪が宿舎の監督、正岡子規が舎生の関係であり、その子規の影響で句作を始めた。
俳号の『鳴雪』は、『何事も成行きに任す』の、当て字と言うからなんとも人を食った人物だ。
作風は、平明温雅、円満洒脱、などと評され、日本派の長老と生涯仰がれました。
ちなみに、日本派とは、子規が勤務していた、新聞「日本」で活躍した俳人たちのコトを言います。
鳴雪は、この,飄々とした人柄で万人から敬慕され、国民的な俳人となりました。
また、無類の酒好きであり、三オンス瓶に酒を入れどこに行くにも持ち歩いたとのコト。
では、鳴雪の春の句を少々。
文殊語り舎利弗眠る日永かな
春の夜の刀預る恋もあり
菜の花に朧一里や嵯峨の寺
行春の鴉啼くなり女人堂
大凧の静かに下る雨の中
旅人の汐干見て行く馬上かな
壺焼の壺傾きて火の崩れ
片側は雪積む屋根や春の月
鶯の声聞きしより妻孕み
城門に蝶の飛び交ふ日和かな
夕月や納屋も厩も梅の影
野の梅や折らんとすれば牛の声
山寺はお茶一椀の桜かな
風呂の戸を出づれば桜吹雪かな
花一山紫衣の僧あり若衆あり
帯かばふ女心や花の雨
春雨の一日は稚児に泣く日かな
落椿赤き心を拾ひけり
初花や西郷どんは尻向けて
漱石の『吾輩は猫である』に登場する、迷亭の伯父の「牧山」のモデルとも言われます。