ヤハリ春は・・・朧月夜でしょうネ~。
毎日月が綺羅綺羅しております。
ほどよい朧加減で・・・春の月も良いなぁ~。

朧、霞んだような、淡いような、はっきりしない・・・。
そのようなモノに美しさを感じる民族は、日本人だけではないでしょうか?
美しい四季があり、海、山、川、そして八百万の神々に守られている国デス。

世の花を丸うつつむや朧月/加賀千代尼
大切の猫も留守なり朧月/井上井月
浮世絵の絹地ぬけくる朧月/泉鏡花
こりこりと骨食む朧月夜かな/山田禮子
古き世の朧月夜や奈良七寺/奥山絢子
饒舌は朧月夜に嫌はるる/小林朱夏
古き世の朧月夜や奈良七寺/奥山絢子

はぁ、月はいつまでも観ていられるネ~。
月を観て、俳句を詠んで、ギターを弾いて、映画を観て、小説を読んで・・・。
それだけで生きていけたらなぁ~、と、月を観ながらいつも思う、ナマケモノであります。
3/7・本日・詩人『竹中郁』の命日です。
見知らぬ人の
会釈をうけて
こちらも丁重に会釈をかえした
二人のあいだを
ここちよい風がふいた
二人は正反対の方向へあるいていった
地球を一廻りして
また出会うつもりの 足どりだった
竹中郁。

1904年4月1日~1982年3月7日
中学時代より北原白秋に傾倒し、『近代風景』『詩と音楽』などの、白秋主宰の雑誌で詩人となる。
戦前はモダニズム詩人、戦後は抒情詩人として、評論家として、また児童詩画雑誌『きりん』を井上靖とともに主宰する。
では、竹中郁の詩を・・・。
「二年前の日記」
ごく ちょぴりづつ
一九四五年
手帖につけてゐた日記
六月四日で尻切れとんぼだ
その前日は書いていない
その前々日も書いていない
にげる荷造りに懸命だった夜が
ふた晩
前々々日には
従兄が来たとただ一行
雨があるから空襲はなかった
余白に 苺一箱とある ふしぎ ふしぎ
「晩夏」
果物舗(くだものや)の娘が
桃色の息をはきかけては
せつせと鏡をみがいてゐる
澄んだ鏡の中からは
秋が静かに生まれてくる
「伝言板」という作品がある。
こちらも短い詩なので、
最後にもう一度だけ全文を・・・。
「伝言板」
―― 先にいく 二時間待った A
恋人どうしか ただの友達どうしか
―― 先に行く 先に行く
おれも なにかをまっていたが
とうとう この歳になっても来なかったものがある
名声ではない 革命でもない もちろん金銭でもない
口でいえない何かを待った
いま 広大無辺な大空に書く
―― 先に行く と
神戸文学館に、竹中郁コーナーが設けられ、郁の書斎の一部が再現されている。→[神戸文学館HP]
1980/03/07・『山口百恵、引退宣言』
3/7・サウナ健康の日。
「サ(3)ウナ(7)」の語呂合せデス。


二十代前半から三十代前半はヨ~ク行ったよなぁ~、サウナ。
なんであんなにサウナに行ったんだろう、不思議で仕方がナイ。

で、二十五年ほど前、弟が銀座に勤務していた頃のお話。
銀座の某で弟と待ち合わせをしていたのですが、仕事で少し遅れる事になり、暇つぶしに銀座のサウナへ。
でで、そのサウナで、色白ポッチャリのオカマちゃんに追いかけられて?店員を呼んだ恐怖の体験がありますぅぅぅぅぅ。
そのオカマ?ちゃんが、ニコッとしてお辞儀をしたモンだからさぁ~、関連会社の人だっけ~と思い、曖昧に笑顔で会釈したのを勘違いされてようで・・・、う~ん。
しかし、恐かったヨ~、別に襲われたりしたワケじゃないんだけど、ずっとついてくるのネ、もぅ~まっいったッス。
そんでもって、それからサウナ恐怖症になり・・・あはははは、行っておりませんわ。