今夜は、春満月。
古来、月は仏の影とされ、和歌にも多く詠われています。
また、神代には、満月の晩に先祖祀りをしたとも・・・・。
「くもりなき 一つの月を もちながら 浮き世の雲に 迷いぬるかな」
by一休宗純

今夜は待望の春の満月です。
やはり、月は、なんといっても、春と秋デス。
運悪く、こちらは雨・・・。
残念無念、昨夜なら良かった♪

春満月猫の小鈴の近づきぬ/花島陽子
春満月町に溢るる人は見ず/桑久保奈美子
春満月賞味期限は夜明けまで/結木桃子
春満月夫を起こして見てゐたり/高倉恵美子
春満月懺悔室にも小さき窓/荒井千佐代
春満月入江に人魚ゐるらしき/おーたえつこ
春満月バラの香りの寝香水/小栗釣月

『花を詠めども実(げ)に花と思ふことなく、月を詠ずれども実に月と思はず/明恵上人』
3/10・本日・『みすゞ忌』。
みすゞの忌すずめの交尾目のあたり/白井健介
みすゞ忌の観音様は悲しそう/小栗釣月
金子みすゞを有名にしたのが以下のCMの詩。
【こだまでしょうか】
「遊ぼう」っていうと、「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと、「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと、「もう遊ばない」っていう。
そして、あとでさみしくなって、 「ごめんね」っていうと、「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
今日、3月10日は詩人、金子みすゞの忌日デス。

1903年(明治36年)4月11日~1930年(昭和5年)3月10日
26歳で死去するまでに約五百編もの詩を創作した。
西條八十、曰く、「金子みすゞは、若き童謡詩人の中の巨星である」
みすゞの夫は、みすゞの両親が経営する本屋の店員だった、婿の様なかたちだったか?
しかし、あまりにもろくでなしだった。
女性問題を起こし、自暴自棄となり、放蕩を繰り返し、みすゞに性病までうつし、さらに創作活動を邪魔した。
離婚を周囲が考えた時には身篭っていた、ゆえに結婚したが・・・けっきょく悪化する一方・・・。
で、当然離婚交渉となるのだが、底意地の悪い夫は娘の親権を譲らず、それに対抗して自分の母に託すことを懇願する遺書をのこして、夫との離婚協議中に服毒自殺を遂げる・・・悲しすぎる。
みすゞはその理不尽な世を憂いたでしょうネ、そして、極楽浄土を夢見たか・・・。
生誕の地、長門市では、金子みすゞを顕彰するために、全国俳句大会などを開催し、「みすゞ忌」を季語として定着させる活動してきた。
俳人はどんどんみすゞ忌で詠みましょうよ、それが供養になると、私は信じています。
みすゞさん安らかに~第90回みすゞ忌~はこちら→『みすゞ忌法要2019/長門市ホームページ』
みすゞの詩には、絶対的な孤独と愛がアル。
だから、なおさら、悲しいのです。
【つもった雪】
上の雪、さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪、重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪、さみしかろな。
空も地面もみえないで。
【私と小鳥と鈴と】
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
【さびしいとき】
わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。
わたしがさびしいときに、
お友だちはわらうの。
わたしがさびしいときに、
お母さんはやさしいの。
わたしがさびしいときに、
ほとけさまはさびしいの。
みすゞが天上界で安らかに過ごしていることを願います。
金子みすゞ記念館→「金子みすゞ記念館HP」
金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫氏が、みすゞ死後に埋もれていた遺稿を見つけだし、『金子みすゞ全集』として出版した功績はあまり大きい、まさに文学界の大偉業であります。
金子みすゞが命を懸けて守ったご長女の上村ふさえサンは、なんと九十三歳でお元気のご様子。
ただし、金子みすゞの生涯や著作権については、アレコレと異論がでており、そのあたりはググッて頂きたい。
まぁ、藝術も宗教のようなモノでアルことは、確かだが・・・。、
3月10日~七十二候・その8[ 桃始笑/ももはじめてさく]
3/10・「会いたいよパパ」に泣く。
で、今朝の産経新聞、奥田梨智(りさと)さん、八歳の詩に涙が止まらない。
3.11・東日本大震災の時に、梨智さんはお母さんのお腹の中にいた。
父娘は、会うことができなかったワケである。
前略
パパ あのね
パパがてんごくにいったあと
七月十二日に
わたしが生まれたよ
全文はこちら→産経新聞『天国の父に届ける詩』

3/10・本日・【野風呂忌/のぶろき】
凧一つあがる行手や熊野川
秋晴や薮のきれ目の渡船場
雲を吐く三十六峯夕立晴
大琵琶や流れ移りの鳰の陣
本日、三月十日は、鈴鹿野風呂/すずかのぶろ・・・・の忌日デス。
*1887年4月5日 - 1971年4月5日*

昭和46年没、83歳。
高浜虚子に師事。
大正9年11月、日野草城、岩田紫雲郎、田中王城らとともに、俳誌「京鹿子」を創刊、のち主宰となる。
「京鹿子」は「京大三高俳句会」を母体とし、その後に山口誓子、五十嵐播水らも加わって、関西ホトトギスの中心をなしていきます。
また、「京鹿子」に対して、池内たけしが提唱し、水原秋桜子、高野素十、山口誓子、富安風生、山口青邨らの、東大出身者を中心とした「東大俳句会」が発足。
「京大三高俳句会」&「東大俳句会」この二つの流れが、ホトトギスの二大系統となり、さらに分裂して新しい結社がぞくぞく誕生します。
では、私が好きな、本人の句を幾つか。
踏青や嵯峨には多き道しるべ
嵐峡や高嶺がかりの花の雲
花人の散りし古野の月を観る
秋海棠嵐のあとの花盛り
さにづらふ紅葉の雨の詩仙堂
くぐり門押せば開くなり寒げい古
辞世句
【水仙に昃(かげ)り易さの日射なる】
京鹿子社・野風呂記念館[HPなし]
電話 075-752-1617
住所 〒606-8313 京都府京都市左京区吉田中大路町8-1
入場料300円