2020/04/30【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
とは言え、遠くに行かなくても、日々の生活の中に季語はあります。
キッチンに、食卓に、玄関に、庭に、そして見上げた空に・・・。
さて、今月の俳句愛好会[幹]のテーマは、【桜貝】でした、他、春の自由題。
投稿いただいた会員の皆さんには、添削&アドバイスを5月11日ごろまで送付します。
でで、次回の季語は、『薄暮』です。

初夏の候、少し暑さを覚え、うっすらと汗ばむような気候の頃。
ちょっとした喉の渇きもあおり、太陽の光源はまだ柔らかくて、風を涼しいと感じる。
朝、昼、夕、また、時間と場所を変えて詠んでみましょう。

では、例句。
遮断機の今上がりたる町薄暑/高浜虚子
遮断機の上がった先に見えるものはコレから行く町である。
待っているときも初夏を感じていたが、遮断機が結界のように隠していた新しいモノにさらなる夏を感じた。
ゆっくりと上がった遮断機のように作者もゆっくりと歩き出す、しかし、歩みは軽いのだ、目的の町は近い。
空間を上手く切り取った一句。
朝すでにほろびのひかり湖(うみ)薄暑/山上樹実雄
ほろびのひかり、とはなんだろう。
なぜ、平仮名なんだろか、と・・・。
ヒントはこの一首であろうか?
『今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光』
by伊藤左千夫。
アニミズムの世界観なのか?

はたらいてもう昼が来て薄暑かな/能村登四郎
夏は食欲が増す、魚も鳥も繁殖期は夏だ。
人間も初夏の頃には夏バテなどまだない。
作者は元気だ、食欲もアル、お腹が空いて昼だとわかった。
夢中で仕事をしていて多少の暑さなど感じなかったが、空腹と同時に初夏を感じたわけだ。
労働者は皆こうありたいと思うが・・・時間を忘れるのは難しい。
帯びとけば疲れなだるる夕薄暑/古賀まり子
初夏の一番良い時間帯に帰宅した作者。
暑さも遠のき、涼しさの中、晩酌でもする時間だが、作者はそれどころではない。
着物・・・句会か?冠婚か?緊張した会場だったようだ、そして夕薄暑が疲れのトドメ。
しかし、やはり、気だるい女性は美しい。

背を流す人を笑いて母薄暑/大菅興子
作者の母は痴呆なのかもしれない。
背を流す人、と、あるから作者本人ではない。
介護の人が来て訪問入浴させてもらっているのだろう。
それを見つめる作者。
介護の人に感謝しつつ、何も出来ない自分に後ろめたさを感じつつ、そして、母にもアレコレと思う。
何んで笑っているんだろうと、作者は少し悲しくなってくる。
やさしい太陽光は、母の為、母の薄暑だ、と。
個展より個展へ銀座裏薄暑/鷹羽狩行
画廊と言えば銀座ではないか、現在二百を数えるとか。
銀座、それも裏通りともなれば雰囲気もまたガラリと変わる。
若い時に仕事でヨク銀座に行った、また弟が数年銀座で勤めた。
ゆえに銀座で待ち合わせたのだが、画廊が多く、良い暇つぶしになった記憶がある。
作者が上機嫌で個展へ渡り歩く様が見える。
銀座の裏通りの薄暑とは、なかなか粋ではないか。

他、夏の季語で自由題デス、締切は、五月二十九日です。
釣月
四月も終わるか・・・四月尽。
この四月は、チャイナコロナ(武漢肺炎)一色だったなぁ。
五月には、良い兆しが欲しいものです。
虎杖をむかし手折りぬ四月尽/石田波郷
四月尽父祖の業火に上り窯/古舘曹人
四月尽白根の雪をつかみ食ふ/細見綾子
母の忌の雨のしたたる四月尽/角川源義
田をすこし残すおごりも四月尽/松村蒼石
古より山吹は・・・。
眼帯の朝一眼の濃山吹/桂信子

歌川広重作。
~山吹に蛙~

梅に鶯。
山吹に蛙。
ど定番なのDEあります。
もちろん短歌では、この組み合わせが多いです。
蛙鳴く井出の山吹散りにけり花の盛りに逢はましものを/詠み人しらず
みやこ(都)人来ても折らなんかはづ(蛙)鳴くあがたの井戸の山吹の花/橘のきんひらか女
しのびかね鳴きて蛙の惜むをも知らずうつろふ山吹の花/詠み人しらず
あしびきの山吹の花散りにけり井出のかはづや今や鳴くらん/藤原興風
~古池や蛙飛びこむ水の音~
この革命的な句には面白い逸話がアル。
芭蕉は、原型の、「蛙飛ンだり水の音」 まではサラリTO出来たが、上五の創作にはカナリ苦しんだ。
それを見ていた、高弟の宝井其角が、「先生、山吹やにしては如何ですか?」と、提案したらしい。
理由は上記の古歌による、蛙=山吹DEある為で、ど定番の詠み合わせだからであります。
先生そんなコトは常識でしょう?と、言う事か?
超インテリDE雅好きな其角が、定番の表現を承知ゆえの、このアドバイス?は当然だろう。
もちろん、芭蕉も頭を過ぎったに違いないが、其角風の大袈裟な一句を芭蕉は望まなかったワケだ、さもありなん。
で、芭蕉は其角の助言を受け取らずに、即座に「古池や」、としたという言い伝えが残されているのでア~ル。
また、原型の「蛙飛ンだり」では、どうしても俳諧連歌の名残があるワケで、当時の談林風の滑稽の影が残念ながらの強いのデス。
そこを、飛び込むと言う日常的な表現に代えた事により、深みを醸し出し、モノノアワレさえも纏ったワケですネ。
「山吹という五文字は、風流にしてはなやかなれど、古池といふ五文字は質素にして實(まこと)也。
山吹のうれしき五文字を捨てて唯古池となし給へる心こそあさからぬ」by各務支考『葛の松原』

山吹や川よりあがる雫かな/斯波園女
ちぎり捨てあり山吹の花と葉と/波多野爽波
山吹やこの世にありて男の身/藤田湘子
山吹に少女の雨具透きとほる/入船亭扇橋
百穴の粗き岩肌濃山吹/唐沢静男
山吹や昨夜の雨の濁り水/豊谷青峰
山吹や和尚と二人酔いの口/小栗釣月

*山吹~女房詞では、フナ&白酒。
4/30・本日・【荷風忌/かふうき】
色町や真昼しづかに猫の恋
うぐいすや障子にうつる水の紋
葉桜や人に知られぬ昼遊び
本日、四月三十日は、私が文学者として、最も尊敬する、永井荷風の忌日デス。

明治12年(1879年)12月3日~昭和34年(1959年)4月30日
代表作は、『ふらんす物語』・『墨東綺譚』・『つゆのあとさき』・『断腸亭日乗』などなど。
DE、この写真こそが荷風らしい。

漱石も鴎外も国費で外国へ勉学に行った、しかし荷風は、米仏外遊であった、この差は大きいのだっ(笑)。
大人気作家の荷風が、女性にあまり評判がヨロシクないのは、荷風の相手の多くがプロの女性だったからかもしれませんね。
また、二度の離婚、そしてカナリ女性に対して薄情な風に思われている由。
私、思うに、男の本質は二つ・・・自己中心的な薄情者or利己的な変質者(ストーカー)でアルと(笑)。
権力に媚びない、そしてブレないその姿勢は戦中でも同じであった、ゆえに、戦後に熱狂的な再ブームを起こすコトになる。
谷崎との逸話やら、とにかく面白い話はメチャクチャ多いのだけれど、キリがないので、荷風に興味のある人はググって見て下さいネ。
【荷風忌】
独り身の自由が淋し荷風の忌/山田具代
荷風の忌墨東の川すぐ濁る/福島勲
荷風忌の踊り子がガムを噛む楽屋/伊藤黄雀
荷風忌の雲の移り気見てゐたり/吉川高詩
荷風忌や精養軒のオムライス/佐藤紫城
荷風忌を駱駝に乗りて遊びけり/有馬朗人
レッスンの脚よくあがる荷風の忌/中原道夫
牛鍋てふ店まだありし荷風の忌/斎藤由美
荷風忌の近しひそかに潮上げて/片山由美子
荷風忌の午後へ踏切渡りけり/宮崎夕美
荷風の忌着崩れしまま水茶漬/小栗釣月
では、荷風の春の句を幾つか。
深川や花は無くとも春の水
傘ささぬ人のゆききや春の雨
昼寄席の講釈聞くや春のあめ
行春やゆるむ鼻緒の日和下駄
辞世句はいくつも説があるんですが、私が好きな句を。
【紫陽花や身を持ちくづす庵の主】

マジ、あやかりたい〈笑〉。
で、最後に、戦時中の昭和十五年、俳句弾圧事件の最中に、高浜虚子を中心とした俳人たちが軍部の体制に迎合して結成した、「日本俳句作家協会・1940年12月21日設立」に対しての、荷風の辛辣な批判を、『断腸亭日乗』の原文のママここに引用したい。
俳句を詠むすべての人はこの言葉を心に刻むべきであると思う。
ちょっと長い文章であるが是非読んでいただきたいのであります。
昭和15年(62歳)十二月廿二日。日曜。晴。
前文は省略。
世上の噂をきくに、発句(俳句)をつくるものども寄り合ひて日本俳家協会とやら称する組合をつくり、反社会的また廃頽的傾向を有する発句を禁止する規約をつくりし由。この人々は発句の根本に反社会的のものあるを知らざるが如し。俳諧には特有なる隠遁の風致あり。隠遁といひ閑適と称するものはこれ即ち発句独持のさびし味なり。即ちさびなり。もしこれを除かば発句の妙味の大半は失はれ終るべし。芭蕉の生涯と、その吟詠と文章とを見なば今更片言隻語を費すの要なし。現代の日本人ほど馬鹿ゝゝしき人間は世界になし。
いやぁ~、さすがデスね~キッパリ言い切りますネ~(笑)。
この、続きは是非、、『断腸亭日乗』で・・・。
で、荷風終焉の地、市川にて毎年五月に行われる荷風忌のイベント。
本年、第12回荷風忌は新型コロナウイルスの影響により8月2日の開催となりました。

無事に開催される事を祈ります。
4月30日~七十二候・その18[牡丹華/ぼたんはなさく]
はなびらに風添へてあり牡丹売り/田口武

二十四節気の穀雨・末候、牡丹華。
牡丹の花が咲き始める頃・・・。
『丹』は赤を、『牡』はオスを表す漢字、強烈な赤い花の意味であるそうな・・・。
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」
実は、牡丹の季語は、【夏】DEあります・・・これからDEあります。
私の地元などはまだ蕾もありませんWA。

薬草として中国から伝わった牡丹ですが、平安時代には宮廷や寺院で観賞用として栽培されました。
今日、夏の花の代表でしょう、俳句や短歌はもちろんの事、日本画など芸術モノのテーマとして多く使われています。
もちろん、本家?の中国では、国の代表花として牡丹があげられ、数え切れないほどの逸話や美術に登場します。
格調高い姿、甘く上品な香りゆえ、褒め称える異名も多し・・・、「富貴草」・「百花王」・「花王」・「花神」・「天香国色」・などなど。
牡丹の花は二十日ほど楽しめることから「二十日草 /はつかぐさ」の名も持ちます。
ちなみに牡丹の花言葉は「王者の風格」であります。

初牡丹妻には妻の日向かな/小澤克己
牡丹蕾む家に嫁の荷届きけり/高田幸枝
蕾より紅唇覗く牡丹かな/都留嘉男
つんつんと尖る牡丹の蕾かな/高倉恵美子
牡丹(ぼうたん)の色を明かしてゆく蕾/稲畑汀子
パッションのバイラオーラなりし牡丹/小栗釣月
