地元では、小手毬の花が盛りですぅぅぅ。
苺の季節到来♪。
指さきにひそむ魔性や苺摘/小田司
某日、野暮用の先にて、苺を食いただきました。
ケーキやパフェ以外で苺を食べるなんて滅多にない。
え~、苺は夏の季語です。
確か、苺は、低カロリー・低糖質らしく、ダイエット中でもOKらしい。
あ、小学生の時に家の庭で苺を栽培したなぁ~、実って感動した!
苺はバラ科なんですヨ、うん、良い香りがするわけだっ?
さて、新潟県の苺と言えば、「越後姫」でありまするっ~。
が、高いんで食べたことはアリマセンです・・・無理無理。
また、野苺は、日本書紀に『伊致寐姑/いちびこ』として記載されている。
苺は、オランダ人が江戸時代に日本へ、本格栽培は明治の初期らしい。
苺ってなぜか生活観があるよね~、デザートやオヤツだからかしらネ。
黙々と苺つぶして仲直り/三上冨佐子
跳ね上がる苺のへたと寝ぐせ髪/小阪律子
男子寮苺畑の中にあり/須佐薫子
里苺芬々(ふんぷん)句座の手皿盛り/丸山冬鳳
苺盛り分けては九九を覚える児/山元志津香
歯に当てて紅ほとばしる苺かな/宮平静子
グライダー苺畑に落ちにけり/高倉恵美子
愛の朝二人はシャンパンと苺/小栗釣月
この頃の苺畑には、グライダーは落ちんネ。
『Strawberry Fields Forever』・・・やはり、苺畑は地面が良いなぁ(笑)。
カレー大好き、辣韮(らっきょう)大好き。
延元元年/建武3年5月25日(1336年)楠木正成(くすのき まさしげ)の命日。
その、驚き?いや、常識の答は・・・・。
DE、楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての超有名武将です。
でも、知らない人が多いのね~、ビックリです、教科書にも出ていたはずデスが・・・。
天皇親政を志す後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒(何度も失敗している)の最大の功労者デスWA。
いわゆる、建武の新政の立役者であり、一時は足利尊氏の盟友でもあり、二人で後醍醐天皇を助けました。
で、尊氏の天皇への反抗後も、正成は後醍醐天皇側にて、新田義貞、北畠顕家と共に南朝軍の一翼を担ったのですが、
湊川(みなとがわ)の戦いで、楠木軍(700余騎)は尊氏軍(50万以上、諸説あり)に敗れて、正成は自害しました。
この時に北朝から賊将の汚名をうけますが、明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈されます。
『太平記』巻第三にある、後醍醐天皇がみた夢、「主上御夢の事付けたり楠が事」は、有名なのググッて見ましょう。
他、いまだに、大楠公はなぞの多い人物ではありますが、日本史上最も傑出した忠義の臣と言えるのではないでしょうか。
心より、尊敬申し上げております。