虹、夏の季語。

老舗の名画座である並木座に最後に行ったのは閉館前の98年の春だ。
ナニを観たかは忘れてしまったヨ、年はとりたくないものだ・・・。
名画座とは、旧作映画を主体に上映する映画館の事だ。
弟との待ち合わせは銀座が多く、いわゆる銀ブラでのコースは画廊とサウナと並木座だった。
この句で古きよき銀座を思い出す、そして、この頃、私はまだ俳句をやっていない。
虹は夏に多く見られるとの事で夏季。
確かに夕立の後によく出現するように思う。
朝虹は西の空に出て雨を呼び、夕虹は東に見えて翌日は晴れるとか。
虹の裾を「虹の根」と言う、まるで地球から生えてくるようだ。
ほか、傍題多し、「二重虹」「虹立つ」「虹の輪」「虹の橋」「虹の帯」「朝虹」「夕虹」「片虹」「白虹」「虹晴」「円虹」などなど、きりが無い。

不思議な事に万葉集で虹が出てこないのだ、なぜだろう?
オールシーズンに出現するセイか?それともチャイナの思想の大蛇と見たか?
虹という字の偏の「虫」はヘビの意味で、旁の「工」はモトモト貫くという意味。
つまりチャイナの古人は虹を天空を駆ける竜の仲間、大蛇と考えた。
七色の大蛇だっ。
もう一つ虹を表す字に「霓(げい)」がある。
これは、小さく薄く細い虹、あるいは「二重虹」のサブを指す意味。
繰返すが、虹は大蛇、そうなると、雌雄がアルと考えた。
じゃぁ~、大きな虹は、雄ジャンというコトにして、小さく薄く細い虹を雌ジャンとして霓(蜺)と名付けた。
「兒(=児)」は「子供の、小さな」の意もアル。
しかし、我々の先祖は虹を雌雄の大蛇と考えず、もっぱら「虹」だけを使用。
その為、「霓」と言う字はほとんど用いられることはない。
庭のあった家に住んでいたころ、水撒きで虹をつくり娘達を潜らせたりしたものだっ。

あ~そうそう、都会に住んでいた時はいつも思っていた。
なぜ、都会の虹はすぐに消えてしまうのだろうかと・・・。
夕虹のすぐ不夜城に消えにけり/小栗釣月

日本海、これからの時期の楽しみは虹だ。
特に、夕方の雨上がりが最高。
夕焼けと虹を露天風呂から見るんだよ~(笑)。
俄雨虹の遊戯を見る浜辺/小栗釣月
登山好きの友人が言うには山で虹を見るのはマレらしいが?
山小屋の小さき窓に小さき霓/小栗釣月

佐渡も虹がよく似合う。
芭蕉は荒海を詠んだが・・・ 日本海の虹も詠んで欲しかった。
夕虹や佐渡をまるごと懐に/小栗釣月

虹立つや人馬賑ふ空の上/萩原朔太郎
虹消えて了(しま)へば還(かえ)る人妻に/三橋鷹女
虹透きて見ゆわが生の涯までも/野見山朱鳥
消ゆる時虹青色をのこしけり/軽部烏頭子

川へ虹プロレタリアの捨て水は/原子公平
繪(絵)をかいてゐる子の虹の匂ひかな/國弘賢治
虹立つも消ゆるも音を立てずして/山口波津女
噴水の虹くぐりては巣作りす/高柳克弘

6月5日~七十二候・その25[螳螂生/かまきりしょうず]
2020/06/05・本日【芒種/ぼうしゅ】
「芒(のぎ)のある穀物、稼種(かしゅ)する時なり」

で、芒種とは、芒(のぎ)のある穀物、例えば稲や麦など穂の出る穀物の種をまく頃。
芒(のぎ、のげ、「ぼう」とも)は、イネ科の植物の先端にある棘状の毛の事デス。


ちなみに、沖縄では、前節気の小満と今節気の芒種とを併せて、
スーマンボースー(小満芒種)と呼び、梅雨の意味となるそうです。
では、【芒種】
芒種なり水盤に粟蒔くとせむ/草間時彦
芒種はや人の肌さす山の草/鷹羽狩行
大灘を前に芒種の雨しとど/宇多喜代子
打集ひ何を芒種の鍛錬会/高澤良一
暁の西より晴るる芒種かな/後藤昭女
ごんごんと芒種の水を飲み干せり/夏井いつき
日の大神の恵みえてこそ芒種/小栗釣月

稲の語源を、命の根ではTOの説もありまして・・・日本人の根源でありましょう。
ラベンダー♪
毎日新聞に初めて感動する。
わたしはヤヤ右より?なので仕方が無い。
で、昨日(六月四日)、床屋に行ってローカル新聞を読んでいたら・・・。
天安門事件の記事がないのである。
驚いたのなんの、当然、産経新聞は一面であった。
ゆゆしき事態だぁぁぁぁと思い、ほかの新聞も某所でチェックしてみたっ。
日本経済新聞・不掲載、読売新聞・不掲載、朝日新聞・不掲載。
で、当然毎日新聞は不掲載だろうと思っていたら・・・四面で大きく取り上げていた。
毎日新聞、すごいじゃネ~かぁ~。
さすが、人権派(笑)。
読売も朝日も人権には興味がないらしい・・・。
じゃんじゃん。