金魚、川に放したら駄目よ。

普通、金魚が動かないのは病気なんだよねぇ~。
この動かないは、沈黙と考えたほうがよさそうだっ。
作者も職人も金魚も動かない、時計だけが時を刻んでいる・・・静寂。
実は、金魚時計なるモノが存在するが・・・この句はホンモノの金魚だな?

カナダの川に金魚を放したら、超巨大になったビックリニュース。

鯉より大きくなるなんて・・・・(汗)、これじゃぁ~、きんぎょメイワクだっ(大汗)。
さて、金魚は一年中いますが、夏の涼として季語になった。
最近は金魚を見なくなった、飼ってるトコも少ない。
また、祭の露店での金魚(主に和金)すくいも減少した。


原産はチャイナ、日本へは室町時代頃に渡来。
で、和金とは、キンギョのルーツ的品種で、日本に最初に渡来したのはコイツ。
いわゆる緋鮒の亜種がルーツ、緋鮒→和金→金魚、らしい。
江戸時代には金魚ブームが武士の間で起こった、いわゆる副業だ。
浮世絵に金魚が描かれた事が発端らしいのだが・・・。
当時は高級魚だった金魚、そのブリーダーになり大もうけした武士もいたらしい。
ちなみに、江戸期のマニュアル本は、「金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)」でありんす。

さて、金魚でも見に行くかなぁ、「蜜のあわれ」の展開希望(笑)。


縁ばかりまはる金魚は尾切れかな/河東碧梧桐
貰ひ来る茶碗の中の金魚かな/内藤鳴雪
金魚飼いたし江戸の古地図をいま見たし/田沼文雄
露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな/攝津幸彦
白黒のテレビを消して金魚の夜/坊城俊樹
カップ麺待つ三分の金魚かな/上原恒子
叱られて金魚の水を替へてをり/名村早智子
金魚の尾ふはふはと今日振り返る/櫻井搏道
金魚浮き不満の泡を一つ吐く/泉田秋硯
金魚にはきつと歪んでゐる私/火箱ひろ
居酒屋の金魚はみんな不眠症/小栗釣月

「金魚鉢は丸い形をしているから、外の景色が歪んで見える。その歪んだ景色に金魚が苦しめられてしまう」
との理由で、イタリアのミラノの隣にある、ヨーロッパ最大級と称される緑豊かなモンツァ(イタリアF1の聖地)という町では、金魚鉢で金魚を飼う行為は法律違反だそうだ(笑)。

世界は広いなぁ。
俳句・角川、2020/06号を読む。
焼酎はなぜ夏の季語なのか?
焼酎やゴッホの狂気少し欲し/足立良雄
ちょっとヤバイ?シチュエーションですけどネ、アル中かな?と・・・。
私なんかは、焼酎と言えば、モロお湯割りのイメージ。
ホット焼酎無口でゐたる疲れかな/布川直幸
ホット焼酎濃し喉仏笑ひ/布川直幸

寒い季節の薬缶のお湯を注ぎ、香りを楽しみながら飲む。
しかし、俳句の世界では夏の季語である。
その謎は、江戸時代にまでサカノボルのです。
江戸期の百科事典『和漢三才図会』には、暑気払いの飲み物DE、滋養強壮、夏バテ防止の薬として掲載されています。
実際にはこうだ、『気味はなはだ辛烈にして、つかへを消し、積聚を抑へて、よく湿を防ぐ』
との、理由により、今でも「焼酎」は夏の季語となったておりますが・・・う~ん、納得イカンデスWA。
ま、現在の夏ならば、焼酎のロックと言う楽しみ方もないではない。

冷焼酎亭主関白通しけり/淵脇護
焼酎のオンザロックに風の音/十川たかし
芋焼酎の本場でアル、鹿児島県では、夏でも芋焼酎のお湯割りを飲む人がけっこうイルらしい。
エアコンでの冷え防止には、身体を温め、さらに発汗を促し、効果的なのかもしれませんネ。

焼酎を野越え山越え酌み交はす/菅裸馬
焼酎のただただ憎し父酔へば/菖蒲あや
焼酎に片手搾りの檸檬かな/荒井和昭
焼酎や吾が正論の孤立せる/高橋明
焼酎やキリスト仏陀マホメット/小栗釣月

信仰者に酒はいらないらしいが・・・。
本当か?『日本、中国批判声明に参加拒否』
マジか、マジか、マジかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
ココ→「日本、中国批判声明に参加拒否 香港安全法巡り、欧米は失望も」
チャイナの親玉を、チャイナコロナ(武漢肺炎)が落ち着いた秋頃に国賓として再び案も大反対なのだが・・・。
もしも、日本政府が本当に、中国批判声明の参加を拒否したのだとすれば、チャイナに隷属した事になるワケだよ。
おいおいおいおい、日本政府はいったいナニを考えているんだ、何故、チャイナの味方をする、信じられない暴挙ダッ。
野党もマスコミも、「中国批判声明の参加拒否反対」と「習近平国家主席の国賓訪日反対」の運動をただちに展開せよ。
まだ、信じられないが・・・、政府の正式見解は、明日の月曜日になるだろうが・・・う~んう~ん・・・。
毎年この時期は、日光キスゲ(黄菅)が綺麗デス。

日光キスゲ(黄菅)、別名、ゼンテイカ(禅庭花)、キスゲ亜科。
ユリ科の花なんで、百合にやはり似ていますね、で、黄菅(きすげ)は、
「ゆうすげ」の仲間になります、 夕菅(ゆうすげ)はキスゲの別名で、
夏の夕方に花が開き、翌朝にしぼむことから「ゆうすげ」の名がついたワケです。
俳句では、晩夏の季語、夕菅として詠まれていますが、歳時記に載っていない場合が多いです。

夕菅は胸の高さに遠き日も/川崎展宏
夕菅の野をゆく小さき咳こぼし/増成栗人
黄菅咲くその蘂を見し空を見し/依田明倫
夕菅や叱られし日のなつかしく/伊藤敬子
夕菅の風あつめては散らしては/黛執
黄昏に満たされてゆく夕菅かな/小栗釣月
二十四歳で夭折した詩人、
立原道造の詩にゆうすげびとがあります。
匂い立つような詩です、ご鑑賞下さいマセ。
ゆうすげびと/立原道造
かなしみでなかった日の ながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた
それはひとつの花の名であった
それは黄いろの淡いあわい花だった
僕はなんにも知ってはいなかった
なにかを知りたくて うっとりしていた
そしてときどき思うのだが 一体なにを
だれが待っているのだろうかと
昨日の風に鳴っていた 林を透いた青空に
かうばしい さびしい光の まんなかに
あの叢(くさむら)に咲いていた・・・
そうしてきょうもその花は
思いなしだか 悔いのようにーー
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔いなく去らせたほどに
第一詩集「萱草に寄す」より