6/13・本日・太宰治の命日「桜桃忌」
「人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。」
「ついに金銭は最上のものでなかった。」
「人を審判する場合。それは自分に、しかばねを、神を、感じているときだ。」
「なんにもしたくないという無意志の状態は、そのひとが健康だからである。」
追憶のぜひもなきわれ春の鳥/太宰治
坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに、
新戯作派、無頼派と称された、『斜陽』はベストセラー。
あまりにも有名な作家、太宰治は、なんと俳句も詠んでいました。

1909年(明治42年)6月19日~1948年(昭和23年)6月13日
外はみぞれ、何を笑ふやレニン像/太宰治
*大宰初期の代表作『葉』(1934)に掲載された、俳句です。
レニンとは、ロシアのレーニンだ。
大宰は左翼と親密にかかわりアジトを提供していた時期があった。
しかし、『葉』、発表の二年前に、警察署に兄と自首をして、左翼と縁を切った。
以下、太宰治の俳句を・・・・。
歯こぼれし口の寂〈さぶ〉さや三日月
ソロモンの夢が破れて一匹の蟻
幇間の道化窶(やつ)れやみづっぱな
春服の色教えてよ揚雲雀
大川端道化に窶〈やつ〉れ幇間の
追憶のぜひもなきわれ春の鳥
ひとりゐて蛍こいこいすなつぱら
乱れ咲く乙女心の野菊かな
コスモスの影をどるなり乾むしろ
病む妻やとゞこほる雲鬼すゝき
今朝は初雪あゝ誰もいないのだ
旅人よゆくて野ざらし知るやいさ
こがらしや眉寒き身の俳句三昧
亀の子われに問へ春近きや
老ひそめし身の紅かねや今朝の寒
太宰の写真からはまったく想像できないが有名な・・・異常な大食漢らしい。
太らなかった理由は、結核、鎮痛剤バビナール中毒、不眠症などの複合的原因によると思われるが・・・。
青森県の屈指の大地主の子である我儘性とプライドに反して、田舎者である事の言葉を含むコンプレックスが東京での太宰を苦しめたのに違いない。
そして、太宰はあまりにも芥川に心酔してしまった・・・。
昭和二年に芥川龍之介が青酸カリを服毒して自殺した時、太宰が芥川の辞世の句の、「水洟や鼻の先だけ暮れのこる」を、書き連ねた事は、あまりにも有名なエピソードです。
太宰も、1948年(昭和23年)6月13日に玉川上水で、愛人山崎富栄と入水自殺。
六度目の自殺でやっと本懐?を遂げたことになるワケだ、アル中と精神の不安定が最大の原因か?
二人の遺体の発見は六日後の6月19日、奇しくも太宰の誕生日であった。
太宰の忌日は、彼が死の直前に書いた短編「桜桃」にちなみ「桜桃忌」と名付けられる。
中原中也、井伏鱒二、檀一雄、三島由紀夫、などとのエピソードはとても面白く、作品、人となりは、ググッて下さいマセ。
好き嫌いが大きく分かれる、太宰の作品。
彼の、女々しさを共有できるかどうかではないだろうか・・・。