鯰(なまず)は夜行性なんですよ・・・梅雨鯰とも。
ナマズは、何とも言えぬ滑稽感がある。
大きな口と髭のセイだろうなぁ。
萍(うきくさ)の下の鯰の微笑かな/金子兜太
魚籠(びく)鯰あぶくを出して笑ひけり/奥田節子
泥鰌鳴き鯰笑うて古書の谷/岡井省二
水切つて笑ふ容の鯰髭/天野きく江

通常、昼は水底でじっとしているらしい。
小学生一年の夏休みだったと思う。
遠縁の六年生のY兄ちゃんと、城址の麓の水路に鯰釣りに行った。
餌は生きた蛙である・・・Y兄ちゃんは短時間で数匹の釣果であったが私は全然釣れナイ。
結局、タモ網でガサガサと水路を駆けずり回り小さいヤツを数匹獲り大喜びした記憶がある。

大鯰仕留め章駄天走りかな/小澤實
鯰捕り午後ひえびえと野鍛冶の火/梶浦玲良子
釣り上げし鯰と記念写真かな/村田美穂子
鯰提げて寒山と拾得と会ふ/小栗釣月
しかし、その後、私の夏休みに鯰は登場しなかった、現在も減少し続けているらしい・・・。
日本に生息する鯰は四種。
日本固有種の三種。
ビワコオオナマズ。

イワトコナマズ。

タニガワナマズ。

大変希少。
そして、東アジア広域に生息するのが、最期の一種マナマズであり、私が獲ったヤツはコイツである。

で、ナマズと言えば=地震予知?なわけで、江戸期から盛んに浮世絵の題材となったようだ。

理由は、こうだっ。
江戸の庶民の間で、地震は地中の大鯰が暴れて引き起こすものと信じられていた。

地震を防ぐために大鯰を地中に押さえ込んでいるのが、「要石(かなめいし)」で、鹿島神宮と香取神宮に祀られている。


ナマズは夏の季語、梅雨鯰とも言う、昔は多く食したようだ。
梅雨鯰打てばひびきし齢過ぐ/木村風師
梅雨鯰四ッ手の底の藻の上に/皆川盤水
梅雨鯰の泥吐いてをる祇園かな/延広禎一
行口(いけるくち)なり梅雨鯰ほど淡淡/中原道夫
梅雨鯰食ふて津波を鎮めけり/小栗釣月
ナマズを食べる歴史は古く、縄文時代の貝塚などからナマズの骨が出土しているようだ。
また、文献としてはじめて食した様子は、今昔物語(平安末期)に掲載されている。
私は、バブルの頃の東京のナマズ専門店で天ぷらと蒲焼きを食べた。


旨かったが、国産ではなくアメリカナマズだったかもしれない。
鯰フライに水質の話など/高田令子
大同の夜店で食はす鯰鍋/松崎鉄之介
雷電さまの境内鯰料理かな/瀧春一
髭親爺あんた鯰は共食いぞ/小栗釣月
たたきや刺身の生食は、顎口虫症への感染の恐れがあるので現在はしていない。
なお、共食いの性質があり養殖には適さないとのコトである。
さて、古来より、主と言えば大鯰ではあるまいか?
どこぞの沼に、大鯰が隠れているかも知れませんZO。
大鯰捕られて池の水凹む/小宮山遠
梅雨の蝶を見たか?

人ふたりへだつ林や梅雨の蝶/水原秋桜子
上記の、水原秋桜子の句には前書きがある。
*「石田波郷君は東京療養所に、山田文男君は清瀬病院にあり」*
二人の愛弟子を案じての句だっ。

普通、梅雨の蝶とは、雨の一瞬の間隙に舞う蝶を言う。
蝶は雨を葉の下に隠れてやり過ごす、長雨は辛いだろうなぁ。
そして晴れ渡ると、まず、食事だっ。
お腹が満たされれば、恋の時間となる。

打ち返す波くろぐろと梅雨の蝶/一民江
船ゆきてしばらくは波梅雨の蝶/柴田美佐
梅雨の蝶止まれば大漁旗ゆれず/小栗釣月

梅雨の蝶たま~まよひ来て黄なり/久保田万太郎
梅雨の蝶破れかぶれとなりにけり/香西照雄
梅雨の蝶少しの庭に出であそぶ/上野さち子

地下鉄の切符が風に奪われて、まるで蝶のように舞って地に落ちた。
メトロ出て切符は梅雨の蝶となる/小栗釣月

春の蝶は小さくて軽やか、夏の蝶は大きくて元気、梅雨の蝶はなにやら重い感じがする。
五円より重たき梅雨の蝶のゆく/小栗釣月

梅雨寒(つゆさむ)デス。
梅雨寒や居所のなき扇風機/今村映水

新潟県を含む北陸地方が入梅したのが十二日。
今年も空梅雨かしらと思っていたらショボショボの雨。
ちょっとは降って欲しいのよね、農家が困るしサ、紫陽花も咲かないジャン。

で、昨日、今日と、我が家はやや寒い・・・。
梅雨の時期の冷えを、【梅雨寒】・梅雨冷と言う。
余寒~春寒~花冷え~梅雨寒の順番かな?。

なお「梅雨寒」は、季語としては、普通は、「つゆさむ」と濁らずに読みます、念のため。
梅雨の不吉な影、疎ましさ、憂鬱を重層的に含む、なかなか深い季語だと思います。

とびからす病者に啼いて梅雨寒し/石橋秀野
人形は軽く口開け梅雨寒し/対馬康子
梅雨寒の蔵にをさまる笛太鼓/佐川広治
梅雨寒や粗煮の目玉抜けてをり/水野あき子
辞する背に消さる門灯梅雨寒し/後藤雅夫
梅雨寒の空かきまはす鳥一羽/浜口高子
梅雨寒や名前にじみし封を切る/山本きょう
梅雨寒に弱きを歎く父の遺句/滝川あい子
ぬくもりの背に残りたる梅雨寒し/小栗釣月
