よぅぅぅぅぅしっ、今夜は秋刀魚じゃぁぁぁぁ。
9/26・本日・【秀野忌】
*これは、秀野が小学三年生の時の作文である・・・凄すぎる。
【蝉時雨子は担送車に追ひつけず】
この句も凄いです、なんとも言葉になりません。
そして、私がはじめて泣いた句なのであります。
前書きには、七月二十一日とあり、緊急入院の日付でしょう。
乗せられた坦送車に、幼い愛娘[当時五歳]が取りすがる姿が浮かびます。
母に追いつけずに引き離され、母を呼んで泣き叫び崩れ落ちる・・・・。
その嗚咽を聞きながら手術室へ運ばれていく、母、秀野。
はからずも蝉が時雨のごとく喚き、愛娘の叫び声が唱和して耳と心に迫り来る・・・。
なんと、やるせない、句であります。
しかし、この十七文字に、人生の終焉が描かれています。
春暁の我が吐くものの光り澄む
短夜の看護り給ふも縁かな
妻なしに似て四十なる白絣
裸子をひとり得しのみ礼拝す
薫風に膝ただすさへ夢なれや
鐘鳴れば秋はなやかに傘のうち
本日、9月26日は、石橋秀野(いしばしひでの)の忌日です。

*1909年2月19日~1947年9月26日*
与謝野晶子に短歌を、高浜虚子に俳句を学ぶ。
山本健吉(俳号竹青)と結婚。
戦時中の疎開生活中に病に侵され、昭和22年(1947年)9月26日、京都宇陀野療養所にて39歳の若さで死去。
死後1949年(昭和24年)に刊行された句文集『櫻濃く』は有名。
【秀野忌】
秀野忌のいとヾも影をひきにけり/石田波郷
秀野忌の秋冷触るる薔薇の白/西島麦南
秀野忌の月をひとしづくと数う/橋本喜夫
秀野忌や秋の螢を病むといふ/石川桂郎
秀野忌より波郷忌までの山の色/西田もとつぐ
秀野忌や袂を過ぐる雅び言/小栗釣月
蝉時雨の中、担送車に追ひつけなかった一人娘は、エッセイストの山本安見子[本名・石橋安見]女史。
彼女が母の句で一番好きな句と仰っていたのが、『子にうつす故里なまり衣被』
他、秀野の句を幾つか・・・・、
大夕焼消えなが夫の帰るべし
夏の月肺壊[く]えつつも眠るなる
緑なす松や金欲し命欲し
曼珠沙華消えてしまひし野面かな
ゆく秋やふくみて水のやはらかき
西日照りいのち無惨にありにけり
星降るや秋刀魚の脂燃えたぎる
眦(まなじり)に紅決したる踊りかな
母と子に影冷えて来し風車
美人薄命ですね。
担送車とは~重症患者を移送する車輪のついたベッド・[ストレッチャー]
「俳句なんどなんのためにつくるのか。
飯の足しになる訳ではなし、色気のあるものでもなし、
阿呆の一念やむにやまれずひたすらに行ずると云ふより他に答へやうのないものである」
鳥が鳴く吾妻秋草恋ひ泣きし/山本健吉
*妻の秀野の追悼句会での健吉(四十一歳)の一句。