10/31・本日、ガスの記念日・・・灯火(燈下)親しむ。

1872年10月31日(明治5年9月29日)、
横浜の馬車道で、日本初のガス灯が点灯されました。
その事を記念して、日本ガス協会が1972年に制定しました。
昔、灯火と言えば、蝋燭、そして読書。
そして、現在は電気へと変わったワケです。
しかし、灯火は家だでけではない。
秋の夜のガス灯。
いかにも、「灯火親しむ」で、あります。
「燈火親し」「秋燈」「燈火の秋」「秋ともし」「秋の灯」も同様であります。
そして、旅愁でもある、故郷の自然、母と友との多くの想い出。

山の湯のランプの燈火親しみぬ/富安風生
燈火親し郷信われを待つといふ/島田五空
燈火親し琥珀の酒を注げばなほ/青柳志解樹
ぬくぬくと燈火親しむ猫の影/小栗釣月
秋灯に祈りと違ふ指を組む/能村研三
夕刊を読む秋の灯をともしけり/吉屋信子
秋の灯にひらがなばかり母の文/倉田紘文
一人居に帰るか秋の灯をくぐり/小栗釣月

十月よ、さようならぁぁぁぁぁぁぁ(涙)。
秋も終わりますぅぅぅぅぅ。
十月も終わるネ~、寒いなぁ~、十月尽。
10/31・本日・【ハロウィン】&『ブルームーン』


このイベントを始めて知ったのは中学二年の時です。
愛読書の四コマ漫画、ピーナッツ(スヌーピー)の恒例行事として・・・。

日本でこんな大々的な?馬鹿馬鹿しい、悪乗りイベントになるとは思いもしませんでした。
で、ピーナツの主役、あの天才的未熟児?

Linus Van Pelt/ライナス・ヴァン・ペルト。

ハロウィンといえば、このライナスと、カボチャ大王です。

カボチャ大王をご存知の方は少ないでしょうね。
ハロウィンになるとカボチャ畑に降りてきて、
子どもたちにプレゼントをくれる・・・らしいのですが・・・。
信じているのはライナスだけデス。
可哀想にライナスはまだ一度もカボチャ大王に会っていません。

カボチャ大王はどこに現れるかはわからないのです。
ライナス曰く、大き過ぎず、いい状態のカボチャ畑・・・なんて曖昧な(^^;)
今年こそ、ライナスがカボチャ大王に会えますように、祈るしかアリマセン。
m(_ _)m
そう言えば、今夜はブルームーン、ライナスの願いが久しぶりに叶うかもデス。
え?二度目の満月、【Blue Moon】、をご存じない?
十月二日は満月でした。

そして、本日、十月三十一日も満月です。

満月が月に二回もあるのはカナリ珍しいのです。
DE。
一度目に訪れる満月が・・・First Moon/ファーストムーン。
二度目に訪れる満月は・・・Blue Moon /ブルームーン。

嬉しい事に今夜から一日にかけて晴マークです、ラッキー。
ハロウィンの青き月夜に魔女集ふ/小栗釣月

秋の澄んだ夜空に浮かぶブルームーン、堪能しましょう♪
2020/10/30【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
秋も深まり紅葉の時期を迎えます。
連衆の皆さん、如何お過ごしですか?
で、早いもので、十一月七日は立冬です。
歳時記を冬季にかえましょうネ。
さて、今月の俳句愛好会[幹]のテーマは、【秋の蝶】でした。

投稿いただいた会員の皆さんには、添削&アドバイスを十一月十日ごろまで送付します。
で、次回の兼題は、初冬の代表的な季語、『時雨/しぐれ』です。

(注A)『滑稽雑談』にも多く語られている重要な季語であります。
「しぐれ」とは「過ぐる」が語源らしいデス。
元々は、陰暦十月(新暦11月~12月はじめ、いわゆる初冬)の山裾のにわか雨を指して詠まれたようです。
万葉の時代、この初冬の時雨が木々の葉を色づかせ散らすと考えられていました。

ゆえに、どこかに艶なるものを秘めた季語でもあります。
近年は、初冬の驟雨のイメージが先行しがちです。
が、しかし、ものさびしくヤヤ曇りがちな通り雨と考えると良いでしょう。
サッと降り注ぎながらも、すぐ晴れて青空さえものぞかせるイメージに艶を加えたい。
また、無常観を漂わす事が出来ればそれもまた良しデス。
芭蕉の新風的句集、『猿蓑』の、「初時雨猿も小蓑をほしげなり」は、あまりにも有名な巻頭句デス。

時雨、傍題多数。
時雨るる、時雨来る、
初時雨、片時雨、朝時雨、夕時雨、海時雨、山時雨、町時雨、月時雨、小夜時雨、北時雨、松時雨、時雨傘、時雨雲、時雨虹、時雨窓、などなど。
では、例句。
初時雨猿も小蓑をほしげなり/松尾芭蕉

「おくのほそ道」の後、故郷の伊賀へ帰る旅路の山中で遭遇した初時雨を詠んだ。
『猿蓑』の其角の序の一部を引用する。
「我翁(芭蕉)行脚のころ、伊賀越しける山中にて、猿に小蓑を着せて、俳諧の神を入たまひければ、たちまち断腸のおもひを叫びけむ」
寂しい山中の道で初時雨が降ってきた。
思わず頭上を仰ぐと樹に猿が一匹ぽつんと悲しい目をして雨に濡れている。
芭蕉の寂しさが猿の哀れさに共鳴しつつ己に重ね合わせことさら無常観にひたる芭蕉。
そうか、猿よ、おまえも小さい蓑が欲しかろうなぁ、と、芭蕉は嘆いて見せたのだ。
さて、この猿は本物か幻か・・・興味は尽きないのであります。
化けさうな傘かす寺のしぐれかな/与謝蕪村

俳諧の滑稽味の見本、さすが、蕪村であります。
野暮用でボロ寺を訪ねたか?
いざ帰ろうとしたら時雨である。
すぐ止むだろうと思っていたがなかなか止まない。
で、結局、寺より傘を借りて帰ることになったが、これがボロ傘だ。
差してみたらまさに「化けさうな」破れ傘だった。
こりゃ傘が無いと同じだと思い、しかし、私には似合いだと、蕪村は自嘲したに違いない。
うしろすがたのしぐれてゆくか/種田山頭火
山頭火が熊本から再び行乞の旅に出発する時の句。
山頭火は、良くも悪くも自意識過剰。
ゆえに、いくら落ちこぼれても、自分は他人にどのように見られているか常に意識していた。
この句は、後ろ姿を他人に見られている自分自身の有様を詠ったのです。
これから再び漂泊の旅に出る自分が時雨の洗礼をうけてヤヤ自虐的になったか?。
然りとて、映画のラストシーンのような、なんとも味がある一句だ。
湯ぶねより一とくべたのむ時雨かな/川端茅舎
昔のお風呂は薪で焚いていたんだ。
一と=ひと、一つ、の意味/くべ=焼(く)べる。
この句の風呂は、浴槽は屋内、薪を焚く釜は屋外の構造だ。
で、ぬるくなってしまったお湯を屋内で熱くすることは出来ない。
そこで、窓を開けて、『お~い、薪を一本くべてくれ~』と、頼んだという話。
外は時雨、自分は湯船でヌクヌク・・・生活感あふれる一句。
塔しのぐもののなければしぐれくる/上田五千石
これは、京都の空海の東寺らしい。
実際に京都にゆけばワカルが、東寺の五重塔が一番高い。
この東寺の塔を凌(しの)ぐ物など他には無いのである。
ゆえに、時雨が天からではなく、五重塔から降って来たように見えたわけだ。
作者は京都で一人悠々と天を仰いでいる。
しぐるゝや煮物に入るゝ燗ざまし/鈴木真砂女
小料理屋の女将らしい一句。
時雨の時期は暖かい煮物と熱燗が良い。
今夜の御通しを作っているのだろう、なんの煮物かしら?
ちょうど煮詰まった頃合に味見をしたら一味たりない。
と、昨夜のの燗ざましを加えて味を調えた、と、言うところか?
外は寒い時雨、煮物は暖かい、燗ざましは冷えている、絶妙な組み合わせだ。
しぐるゝや駅に西口東口/安住敦
東京の田園調布駅だと言う・・・。
作者は誰かと駅の出口で待ち合わせたのだが、出口が二つあるのでどうしようか迷っている。
戦後直ぐの作品だから当然モバイルツールは無い、さらに今のような便利な高架も無く東から西へ往復するのも大変だ。
改札口を出てしまうとこれまたやっかいな事になる、で、折からの時雨にホームに一人佇みに心細くもある。
作者におかまいなしに大勢の人が足早に通り過ぎてゆく・・・時雨に小さなドラマを重ねた一句。
漁り火に鮭の影みる月時雨/小栗釣月
私の地元は鮭漁が盛んで、昔は漁火でも鮭を獲った。
幼少の頃小舟でその漁を見に行った記憶がある。
漁火があっても鮭など見えず不気味な瀬音だけが響いて怖かった。
月夜だったのは最初だけで時雨が降り早々に引き上げて来た。
鮭は秋の季語、影とすることで季語としての力を弱めたつもり・・・。
他、秋の季語で自由題、締切は、十一月三十日です。
(注A)『滑稽雑談』
時雨について、引用。
「時雨は秋のうちからふるものではあるが、秋ということばを入れぬ限り冬季の詞になる。
中略。
時雨降るときはいかにもさびしく曇りがちにして、軒にも雫の絶えぬ体、秋のしぐれは夜にも木の葉もみぢして冷まじき体・・・。
以下省略」
