十一月二十五日・三島由紀夫の命日・[憂国忌]。
愛は断じて理解ではない。
真の戦争責任は民衆とその愚昧とにある。
何を守ればいいんだと。ぼくはね、結局文化だと思うんだ。
好奇心には道徳がないのである。
もしかするとそれは人間のもちうるもつとも不徳な欲望かもしれない。
時間を支配しているのは女であって、男じゃない。
妊娠十ヵ月の時間、これは女の持物だからね。
だから女は時間に遅れる権利があるんだよ。

名高き、『三島事件』は、1970年(昭和45年)11月25日に起こった。
それは、日本文学界を、いや、世界の文学界を代表する大作家、三島由紀夫の割腹自決事件の事である。

三島は、自ら主催する「楯の会」のメンバー四人と共に、
東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で総監を人質にとり、
本館前に自衛官千人を集合させ、自衛隊の決起を訴える演説を十分間行った。

三島が、『決起』を促して、今年で、五十年。
早過ぎたと言うのはあまりにも簡単だ。
我々は、三島の、憂国の憲法改正の熱い思いを忘れてはいけない。
その後、三島は、周知の通り、総監室で楯の会会員の森田必勝とともに割腹自殺する・・・。
この事件に対しての文化人の発言は手厳しかった。
擁護的なものは少なかったが、以下はそうである。
「単なる一事件と簡単に考えてはいけない」by松本清張
「文化人諸氏の発言が、あまりにも太平楽をきめこんだ、解説屋の良識的批判を一歩も出ていない俗論ばかりだと思われてならなかった」by澁澤龍彦
三島は、『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人であり、戦後初めての国際人と言ってよい。
ノーベル文学賞候補にもなり、海外においても認められた大作家である。
なぜ?わたしは、三島を好きなのだろうか?たぶん、それは、三島に、幕末の志士吉田松陰を重ねているからだ。
松陰の辞世。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂」
尊敬する司馬先生は、三島の死を「文学論的死である」と言ったが私はそうは思わない。
対極にある政治論的死であり、国体論的な死でもあると考える。
ゆえに、松陰の辞世の、大和魂を国体と言い換えてもヨイのだ。
そして、今、我々は、三島の、幾つモノ言葉を、心に刻み、未来へ歩まなければならない。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことはできない。このまま行ったら「日本はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
*(一九七〇年七月七日サンケイ新聞夕刊・果たしていない約束の一部引用)
「日本のやうな国には、愛国心などといふ言葉はそぐはないのではないか。
すつかり藤猛にお株をとられてしまつたが、「大和魂」で十分ではないか。」
辞世の歌。
「益荒男(ますらお)がたばさむ太刀の鞘鳴(さやな)りに幾とせ耐へて今日の初霜」
当日、配布した檄文の一部の引用。
『われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのをみた。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを見た。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名前を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。
中略
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである』
まだまだ、言い足りないのだが・・・合掌。
白菜。

白菜、こいつはドコにでも登場します。

八宝菜はヤハリ白菜でしょ。
野菜炒めも白菜が好きなのよね。
白菜漬もシャキシャキして旨いよね~。
もちろん、スキヤキには白菜がなくちゃネ~。

山積みの白菜を撰る暁の市/市橋進
白菜の丸ごと買ひしことむかし/山田弘子
剥くほどに白菜水の匂せり/辻前冨美枝
白菜の芯にみ仏かがやけり/神蔵器
洗ひ上げ白菜も妻もかがやけり/能村登四郎
朝市に白菜の尻そろひけり/大塚禎子
直伝の白菜漬は孫へ継ぐ/小栗釣月

辛いのが駄目な私はキムチを食べれない。
キムチの中でも特にキムチ鍋が恐怖なんであります。
オグリン殺すにゃ刃物はいらぬキムチの鍋があればよい(笑)。