一月尽。
山の湯。
旧暦・1/31・【野坡忌/やばき】

寛文2年1月3日(1662年)~元文5年1月3日(1740年)
別号に野馬、樗木(ちょし)。
両替商の三井越後屋の番頭にまでなりました。
宝井其角に学んだのちに松尾芭蕉に入門する。
蕉門十哲【注1】の一人とされ・・・。
芭蕉の遺書を代筆したと言われています。
芭蕉没後は、大阪に移り住み活躍しました。
なんと、門人は西国四国中国に1000人を越えるほどだったと言われています。
元文五年(1740年)没。
享年79歳。
志太野坡の暖かそうな句を幾つか。
雲霞どこ迄行も同じ事
春風にむかふ椿のしめり哉
ほんのりと日のあたりたる柳哉
夕立やふりそこなひて雲のみね
うぐひすの声を帆にせよ梅の雨
確かに。
蕉門にて、軽み随一と言われたのがわかりますね。
【注1】~蕉門十哲。
一般的に、蕉門十哲とされるのは以下の十人ですが・・・・。
学者先生方により、また!時代によりマチマチなんですよネ~。
困るぅぅぅぅぅぅ。
宝井其角(たからいきかく)
服部嵐雪(はっとりらんせつ)
森川許六(もりかわきょりく)
向井去来(むかいきょらい)
各務支考(かがみしこう)
内藤丈草(ないとうじょうそう)
杉山杉風(すぎやまさんぷう)
立花北枝(たちばなほくし)
志太野坡(しだやば)
越智越人(おちえつじん)
+
河合曾良(かわいそら)
服部土芳(はっとりどほう)
野沢凡兆(のざわぼんちょう)
奥の細道の旅に同行した河合曾良が入ってなかったりするんですが・・・。
曾良を蕉門十哲に入れる場合もあり???
ま、よ~ワカランです。
桃の花一輪。
1月30日~七十二候・その72[鶏始乳/にわとりはじめてとやにつく]
*万葉人も卵を「鶏(とり)の子」と呼んで食していました。
塗椀に割つて重しよ寒卵/石川桂郎

二十四節気の大寒・末候、鶏始乳。

鶏が春の気を感じ、たまごを産み始める頃。
鶏は元々一年中産卵するのですが、
10時間以上の日照があると産卵が促進されるため、
春から夏にかけてが、卵をたくさん産む時期となります。

昔、寒い時期の卵は、栄養が高く滋養に良いとされました。
鶏は、日本へ弥生時代に家畜化されてモノが伝来したらしい。
一般的に食されたのは17世紀ごろからとか・・・。
ぬく飯に落として圓(円)か寒卵/高浜虚子
味噌汁におとすいやしさ寒卵/草間時彦
寒卵煙も見えず雲もなく/知久芳子
ひとすぢの柔毛はなさず寒卵/鷹羽狩行
産みたての温みを握る寒卵/佐々木スガ子
横になる言葉を立てて寒卵/中原道夫
臥せる児のおじやに一つ寒卵/小栗釣月
鶏始乳は、二十四節気の最後[七十二候の終候]、となります。
本日の[大寒・鶏始乳]が終わると、暦の上では春となり(立春)となるワケです。
新しい節気と候が始まる、今年の立春は二月三日、ゆえに、その日から春の季語となります。