歌留多。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに/小野小町

お正月は終ってしまいましたが、季語であるお正月の遊びをご紹介。
「かるた(歌留多)」は、新年の季語。
傍題は、歌がるた、いろは歌留多、花歌留多、歌留多会など。
他、加留多、嘉留太、骨牌とも書く。
カルタの語源はポルトガル語の「carta」に由来するらしい。
文献には、安土桃山時代に輸入されたとある。
で、これがアレンジされて、【天正かるた】となる。
歴史的な流れを、ザックリ。
平安時代・貝覆(かいおおい)→安土桃山時代・天正かるた(日本製のトランプ風カルタ)→江戸時代初期・歌がるた(紙製)
また、歌留多の種類は多い、が。
とは言え、やはり歌留多の代表は、と、言うと。
江戸時代初期に生れた、小倉百人一首による歌カルタではないかっ。
この歌カルタは、百人一首以外に、三十六歌仙・女房三十六歌仙が主流であった。
が、元禄ルネッサンス期には、古今和歌集・源氏物語・伊勢物語などのタイプも製作された。
大ブームを巻き起こした歌留多も、一般の遊びとしてはすっかり廃れてしまった昨今。
私の歌カルタの記憶は、幼稚園の時に本家でお正月に遊んだこと。
それ以後、歌留多をしたの記憶は・・・う~ん、まったくありませんネ~。
しかしながら、今日、競技会歌留多として、大復活したので、ありまぁぁぁぁぁぁす。
やはり、最大の功労者は・・・。
末次由紀女史の大人気漫画、言わずと知れた、『ちはやふる』で、ありましょうぅぅぅぅぅ。

あ、わたくし、全国競技歌留多のクィーン、若宮詩暢(しのぶ)様のファンでありますが・・・何か?

歌留多とる皆美しく負けまじく/高浜虚子
招かれて隣に更けし歌留多かな/夏目漱石
胼(ひび)の手も交りて歌留多賑はへり/杉田久女
学校に畳の間あり歌留多かな/森田峠
歌留多取り終へて見せ合ふ蚯蚓脹れ/山梨幸子
歌留多とる度に晴衣の帯きしむ/柳生千枝子
恋の歌あの娘に取らす歌留多会/小栗釣月

最期に、なんと、板カルタなるモノがあるんです。
昨年、毎日はお邪魔するお気に入りのBlogで紹介されていました。
全国普及の支援の為に今年も再び掲載したしました(笑)。

そして驚きの、『下うた』なんでよ、ね、衝撃ッス。
全然知らなかったんですヨ、で、北海道ではアタリマエなんですって。
まさに、トコロ変われば・・・で、あります。
で、その詳細はコチラ→【昔はかるたを知らざりけり ── 北海道の「下の句かるた」】
「板かるた」は、文化です。
逆も真なり、いわゆる、出来た背景など歴史的にもっと考察するべきですネ。
邪道・本道、紙一重であります。
あ~、世の中は驚きに溢れています。
≪また、昨年、歌留多について質問コメントをしてくれた、黒ゆとりサンのご冥福を心からお祈り申し上げます。≫
寒弾(かんびき)。
下の写真は、その狩谷明大先生であります。

で、真冬もギター教室へ重いギターケースに入れたギターを持ってサ。
テクテクと遠い道を歩いていくワケだっ、そいで、指先が超冷たくなるのサ。
指を暖めないと弾けないワケ、でもネ、師匠はサ、それは修行が足りないって言うのヨ。
『オグリン、じゃ、おまえは、な・に・か?・・・演奏会場が寒いから弾けないと主催者とお客さんに言うのか?それは駄目だろう~寒くても弾ける練習をしなさいヨ』
じゃぁ、先生、どんな練習をすれば寒くても弾けるようになるんですか?
『寒い朝、起きたらすぐギターを弾くんだよ、それに慣れればどんなに寒くても弾けるさ』
ひょえぇぇぇぇぇ~~~、と、思いましたが、その通りにやりましたヨ。
で、四十五年前の、この話を師匠にスルと、ネ。
『俺はそんな話はしていないっ』
なんて言うんだよ~ね~、まったくさぁ、マジ驚くっすヨ。
でで、「寒弾」は、寒中の季語です。
一般的には、琴や三味線の寒稽古のコトなんですが、最近はギターもお仲間。
寒中、早朝から練習に励んだ若き日を思い出して、コソバユクなりますわ。
寒弾の糸をきりりと張りにけり/安田源二郎
寒弾のすみたる膝をくづしけり/高松濤児
寒弾の瞽女二の糸を切るまでに/西本一都
寒弾の細りきる音をくりかへす/林翔
寒弾の爪真白なるギタリスト/小栗釣月

まだ、ギターは弾けないんだよね~イタタタタッ。
1/18・本日・[服部土芳/はっとりとほう]の命日。
棹鹿のかさなり臥る枯野かな
月添ひてかなしさこほる萩すすき
梅が香や砂利敷流す谷の奥
土芳の庵を訪ねた芭蕉の句、
「みのむしの音を聞にこよ草の庵」
から、蓑虫庵と呼ばれた。

明暦3年(1657年) ~享保15年1月18日(1730年)
享年74歳。
松尾芭蕉に師事、芭蕉の同郷の後輩で蕉門十哲の一人。
師、芭蕉の晩年の俳論を整理した『三冊子/さんぞうし』(赤ぞうし、白ぞうし、忘れ水)は、
松尾芭蕉の俳論を現在に伝える超一級の歴史的資料として極めて高い評価を得ています。
では、土芳の句を・・・。
おもしろう松笠もえよ薄月夜
この比のおもはるゝ哉稲の秋
梅が香や砂利しき流す谷の奥
かげろふやほろほろ落る岸の砂
荷鞍ふむ春のすゞめや縁の先
むめちるや糸の光の日の匂ひ
近江路やすがひに立る鹿の長
鮎の子の心すさまじ瀧の音
黑ぼこの松のそだちやわか緑
鶯に橘見する羽ぶきかな
職人の帷子きたる夕すヾみ
明ぼのや稲づま戻る雲の端
冬梅のひとつふたつや鳥の聲
漸に寐所出來ぬ年の中
植竹に河風さむし道の端
なんと、三十歳の若さで藤堂藩士引退し、以後俳諧一途の生涯を送った。
命二つの中にいきたる桜かな/松尾芭蕉
上の句は、『野ざらし紀行』の旅にあった芭蕉が、貞享二年三月。
水口宿で二十年ぶりに服部土芳と満開の桜の下で再会した時の吟であります。
土芳は心の中に一生涯この句があったことでしょうネ。
合掌。