1月20日~七十二候・その70[款冬華/ふきのはなさく]
蕗の薹見つけし今日はこれでよし/細見綾子
二十四節気の大寒・初候、款冬華。

款冬=蕗の薹DEあります。
凍てついた地面に蕗の花が咲き始める頃。
まだ雪が残り、寒風が吹いていても、
草花は春へ向けて準備を進めています。
私の地元で蕗の薹を見る事ができるのは、
早くて、二月の下旬か三月の上旬ですWA。

活断層ゆるめて蕗の薹出づる/千田百里
庭の辺の初のみどりや蕗の薹/能村登四郎
日溜りが日向に変り蕗の薹/星野高士
電文のみじかくつよし蕗のたう/田中裕明
水音にむらさき脱ぎし蕗の薹/稲岡長
失せ物は出て來ず蕗の薹ふたつ/中原道夫
蕗の薹空が面白うてならぬ/仲寒蟬
朝日さすいつもの畔の蕗の薹/小栗釣月

本日・2021/01/20・【大寒/だいかん】
寿永三年一月二十日・源義仲(木曾義仲)の命日。
義仲は、頼朝の命を受けた範頼と義経と争い、大津の地で討ち死にする。
あ~、巴御前のお話も良いネ~。

詳細は、『平家物語』をお読み下さい、朝日将軍(旭将軍)の名で登場。
さて、松尾芭蕉の遺言。
「骸(から)は木曽塚に送るべし」。
私の亡骸(死体)は、義仲寺(ぎちゅうじ)に埋葬して欲しい。
なぜ芭蕉は義仲寺を指定したのか?
たぶん、それは、芭蕉がホンモノの武士に憧れていた為でしょうネ。
そもそも、奥の細道は、西行への追慕(枕詞)と、兵のモノノアワレと、悲運の忠臣への哀悼の旅であっただろう。
芭蕉の本意はわからない・・・しかし、芭蕉ならば、義と情に厚い義仲を好まないはずはない。
芭蕉の終焉の地については、機会があれば詳しくお話したいデス。
義仲寺の芭蕉墓は慎ましい。


木曽殿と背中合わせの寒さかな/島崎又玄