春の雪。
春の雪ひとごとならず消えてゆく/久米三汀

さて、春の雪。
本来、北国の雪ではなく、立春以後の関東以西に降る雪の事を一般的に差します。
春雨であったのに気温が少し下がり雪になるのだ。
そして、湿気が強いために「牡丹雪」になりやすいワケだ。
ゆえに、「牡丹雪」は、春の季語なのであります。

提燈にさはりて消ゆる春の雪/谷崎潤一郎
師の影をしっかり踏んで春の雪/鈴木みのり
湯屋まではぬれて行きけり春の雪/小西来山
春の雪誰かに電話したくなり/桂米朝
春の雪ふるふる最終授業かな/巻良夫
誰からも褒められはせぬ春の雪/小栗釣月

猫の背に少し留めて春の雪/小栗釣月
春の淡雪は解けやすくて大きい・・・それゆえに、儚いのであります。
別れの季節がやってきますね。
二月七日は【北方領土の日】デス、忘れないで。

択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島の四島は、我が日本の固有の領土であります。

しかし、不可侵条約を一方的に破棄した、卑劣な旧ソ連(現ロシア)に強奪されました。
(T_T)
この国際法に背いて、ロシアが略奪したと言う事実を、我々はもっと強く世界にアピールしなければいけません。
あ~、私が、生きている間に、いや、元島民の方々が存命のうちに、北方領土に日の丸を掲げて欲しいと切に願います。

いま、尖閣が危険です。
一度失われた領土を取り戻す事がいかに至難の業なのか我々は身をもって知っているハズ。
尖閣を北方四島のようにしてはいけません、憲法改正アルのみなのです。
*国後島(1,490平方km)だけでも沖縄本島(1,207平方km)より大きく、四島全体(5,003平方km)では福岡県(4,986平方km)より大きいのであります*
二月七日・本日、住宅顕信の命日。

昭和36年(1961年)3月21日~昭和62年(1987年)2月7日
二十五年の人生を鮮烈に燃焼した男がいる。
夭逝したその男の名は、住宅顕信((すみたくけんしん)。
出家、結婚、発病、離婚、闘病、子育て、そして、俳句。
俳人としての創作期間はわずか三年だ。
無季の句が多い、そして自由律俳句。
尾崎放哉に心酔して創作を始めたらしい。
住宅顕信の自由律俳句は、私にとっても大きな衝撃だった。
特筆すべきは、歌人穂村弘氏が言うトコロの主客の一体化であると思う。
ずぶぬれて犬ころ
水滴のひとつひとつが笑っている顔だ
気の抜けたサイダーが僕の人生
鬼とは私のことか豆がまかれる
春風の重い扉だ
夜が淋しくて誰かが笑いはじめた
「一人死亡」というデジタルの冷たい表示
父と子であり淋しい星を見ている
かあちゃんが言えて母のない子よ
お茶をついでもらう私がいっぱいになる
盃にうれしい顔があふれる
白血病だった。
命を繋ぐ句集は是非読んで欲しい。

そして、映画もあります。

ご子息の住宅春樹氏は、「父のように熱く生きたい」と語った。
そして、《バイバイは幼いボクの掌の裏表》の遺句を好きだと言っている。
春樹氏は病室から帰るときに、「いつも父にバイバイと手を振りました」と、ゆえに、この句を読むと、とても懐かしい気持ちになるのだそうです。
合掌。