朧月夜、その二。
我々の世代?は、たぶん皆さんそうなのではないでしょうかネ?
名曲、朧月夜は、夕暮れの田園風景の時間経過を、美しい古語をまじえて謳っています。

この歌は、母との想い出に繋がります。
私が四歳の時に母は嫁ぎ先の横浜から地元に帰ってきました。
いわゆる、出戻りです、その当時はかなり珍しかったでしょうネ。
また、地元はド田舎の封建的な城下町・・・世間からいろいろと言われたようです。
母の実家(本家)は旧家で様付きの家でしたので、その当時はかなり裕福だったようです。
その旧家の、一人娘だった母は、とても贅沢に我儘に育てられたお嬢様です。
もちろん祖母(母の実母)は、出戻りの母を全面的に受け入れたようです。
が、しかし、本家の兄嫁(長男の嫁)は、出戻りの義理の妹など面倒で面白いわけがありません。
母と兄嫁は、喧嘩ばかりしていたそうです。
その母の実家からは、そんな理由で私が小学一年生の冬に引っ越すのですが・・・・。
母の実家で数年過ごした、想い出は夕焼けです。
母に近くの川や土手に手を引かれて行くのです。

たぶん、辛いことがあると私を連れていったんでしょう。
夕暮れに、母はいつも泣いていました。
そして、暗くなる前に祖母が迎えに来て帰るのです。
天気の良い日は、童謡の歌詞のように夕月が美しかったのを憶えています。
母と祖母は、この世で、私を、無条件で一番愛してくれました。
その二人は、既に鬼籍の人です。
私は、春の朧月夜に、そして、菜の花の夕景に、この歌を口ずさみながら、母と祖母を、偲びます。
【朧月夜】作詞:高野辰之
菜の花畠に、入日薄れ、
見わたす山の端(は)、霞ふかし。
春風そよふく、空を見れば、
夕月かかりて、にほひ淡し。

里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
田中の小路をたどる人も、
蛙(かはづ)のなくねも、鐘の音も、
さながら霞める朧月夜。

一番の歌詞の、『にほい(におい)』とは、古語で「色が美しく映えること、気品や艶のある美しさ」の意味デス。
二番の歌詞の、『里わの火影』とは、「人里周辺の家々の燈火」の意味デス。
春の黄昏・・・夕月と菜の花の儚い時間のなんと優しい事か・・・日本ってイイなぁ。

Beatles/「Here,There And Everywhere」を弾く。
大至急、仕上げます。
で、この「Here,There And Everywhere」は、小品ながら名作です。
マッカートニーが「最高傑作のひとつ」と公言したのもワカルよなぁ。
だってこの曲がカバーされた数は半端ないでしょ。
でで、なぜか?楽譜が無い・・・おっかしぃなぁ~、誰かに貸したかなぁ。
仕方がないのでコードだけ検索して、音源を聴く。
いやぁ~、「Revolver/リボルバー」(1966年) 。
久しぶりに聴いたなぁ、うんうん。

でで、超真剣に聴く(笑)。
ふむふむ、流す以外、カッテッングは一弦を弾いてないんだな。
2弦と3弦でカッティングしているようですネ~。
あれこれ試して、完成。
でも、ゆったりめのアルペジオにアレンジし直しても良いかなぁ。
よし、とりあえず、ツーヴァージョンでいってみようぅぅぅぅ。
間に合うのか・・・(笑)。
To lead a better life I need my love to be here~♪
僕の人生をちょっと楽しくするために君の愛をここに~♪
3/9・SF作家「広瀬正」の命日。
1924年9月30日~1972年3月9日
ジャズ・サックスプレーヤーでもあった。
まだ、SFが日本で認知されていない時代。
まぁ、今も、残念ながらボチボチではあるけれども・・・。
あの、伝説的な同人誌『宇宙塵』で、処女長編SF『マイナス・ゼロ』を連載する。
この作品を、1970年に刊行すると、第64回直木賞候補となる。

翌年、1971年には、 『ツィス』、『エロス』刊行し、またまた直木賞候補になるも落選。
司馬遼太郎のみが激賞したが、他の委員がすべて反対して、受賞にいたらなかったとのエピソードがアル。


1973年 『鏡の国のアリス』が星雲賞日本長編部門を受賞。

広瀬氏の棺には「タイム・マシン搭乗者」と書かれていたとの事、SF作家仲間の粋な計らいでしょう。
作品は少ないのですが、すべて日本SF史に残る傑作です。
是非、お読み下さいマセ。