「東北忌」は季語になるのか?
俳句関係者以外興味のないネタで恐縮だが・・・。
あ、いつもか・・・(笑)。
俳句には季語がつきもの。
例えば、関東大震災は、「震災忌」と言う季語で詠む。
東日本大震災は、某結社が、「東北忌」と言う季語で、今は落ち着かせた。
しかし、歳時記に掲載されておらず、季語かどうかと言うと、まだ季語ではない、が、正解だ。
「東北忌」、ピンと来ないのは何故だろう?。
たぶん、それは、まだ、復興が中途であるからだ。
また、被災者もそれを見守ってきた人々も、この人災に関して納得できていない。
原因究明も今後の東北も曖昧のままだ。
そもそも「忌」とは、人間に与えられるものではないのか?
無理に季語として忌日を特定しなくとも前書きで事足りるようにも思うが・・・。
そして、ある意味、次世代の人へ託した?先送りとも言うベキ一句がアル。
原發忌福島忌この世のちの世/黒田杏子
ま、考え方はいろいろだが、第三者が客観的に詠むには時間がかかるのだと思う。
さらに、安易に詠む事は死者への冒涜となりかねない。
そのあたりを心して詠むべきではないのか、と。
ゆえに、今、私は、詠めないでいる・・・器量不足を嘆く日々だ。
さて、被災した俳人が句集を出している。
~照井翠句集『龍宮』~

泥の底繭のごとくに嬰(やや)と母/照井翠(てるいみどり)
この赤ちゃんと母親は泥の中で亡くなっているのではないか・・・。
この一句だけで涙が止まらない・・・。
作者にとって東日本大震災での一番の物理的インパクトは、【泥】の海であったのではないか。
で、新刊がこちら。
照井翠句集『泥天使』
また、泥である。
しかし、美しいものは泥から現れる、蓮の花のように。

興味のアル方は是非一読くださいマセ。
合掌。
今日の東北は暖かいのか?・・・東風(こち)。

西風(あち)東風(こち)や面々さばき柳髪/松尾芭蕉
繭玉や東風に吹かるる店の先/正岡子規
東から吹く、春の柔らかい風・・・東風、いよいよ春爛漫へ加速度を上げています。
東風の次は桜であります、楽しみだなぁ~。

【東風】
万葉集では、『あゆの風』と詠まれています。
東風と言えば、この歌でしょう。
『東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ』
by菅原道真
東風はいろんな呼び名があります。
初東風(はつこち)
強東風(つよごち)
海東風(うみこち)
朝東風(あさごち)
青東風(あおこち)
荒東風(あらこち)
夕東風(ゆうごち)
梅東風(うめごち)
桜東風(さくらごち)
雲雀東風(ひばりこち)
東風の由来は様々ですが、以下の説が有力です。
*東風を「こち」と呼ぶその語源は瀬戸内海の漁師言葉だとする説があります。
瀬戸内には、「鰆(さわら)ごち」「雲雀(へばる)ごち」「梅ごち」「桜ごち」「こち時化(しけ)」といった「コチ」を含む言葉があるそうです。
もっとも東風時化の言葉があるように、漁師さんからすると東風は荒れる風の意味が強いようで、あまり歓迎される風ではないようです。
[日刊☆こよみのページ]より抜粋。
河内路や東風吹送る巫女の袖/与謝蕪村
東風吹くや駒の足並みる日和/井上井月
夕東風に海の船ゐる隅田川/水原秋桜子
強東風に鰤網おこす熊野びと/澤田緑生
梅東風や貝に練り込む京の紅/加藤安希子
荒東風やみどりをふやす土饅頭/黒田杏子
桜東風恋のはじめの薄化粧/小栗釣月

*初めて天皇陛下が東日本大震災追悼式にてお言葉を述べられます、LIVE配信を正座して拝聴いたします*
3/11・東日本大震災・・・十年。
今朝の、【3.11】関係の新聞記事や手記、ネットの書き込みなどを読みながら泣いたヨ。
遺族の方々にはかける言葉も無く、申し訳ないとは思うが、言葉にすればそれは嘘になってしまいそう・・・。
この十年で、取り戻せたもの、取り戻せなかったもの、それぞれの十年であるのではと思います。

東日本大震災から十年、我々は「未来の命」をしっかりと守る為に教訓を語り継がなくてはなりません。
この人災は、絶対に風化させてはならないのであります。
残念ながら、チャイナコロナ(武漢肺炎)の影響で、鎮魂の為の行事はほとんど取り止めのようですが・・・。
われわれ、一人ひとりが、今、その場所で、祈りを捧げましょう。
そして、言いたいこと。
頑張り過ぎるな、東北。
そして無理するな、東北。
もっと頼れ、東北。
もう、十分過ぎるほど頑張っているの人に、頑張れと言うのはもう止めましょう。
頑張り過ぎて死んでいく人が多過ぎると思うのですヨ、それではいけません。
物理的な復興も大切だと思いますが、心の再生こそが最も大切なのではないでしょうか。
宗教家、教育者、哲学者、心理学者、その実力を、今、見せて欲しいワケです。
鎮魂は生きている人間がするのモノであり、命を救うのは・・・命と智慧なのです。
合掌。