3/26・本日・『室生犀星/むろう さいせい』の命日、「犀星忌」。
「『一つ俳句でもつくって見るかな』といふ軽快な戯談はもはや通らないのである。『俳句は作るほど難しくなる』といふ嘆息がつい口をついて出てくるやうになると、もう俳句道に明確にはいり込んでゐるのだ。どうか皆さん、『俳句でも一つ作って見るか』などといふ戯談は仰有らないやうに、そして老人文学などと簡単に片づけてくださらないやうに」。
三月二十六日は、詩人・小説家・俳人の室生犀星の命日、別号に「魚眠洞」。
夏の日の匹婦の腹に生まれけり
私生児であった。
「匹婦(ひっぷ)」とは、いやしい女の意、当然、差別用語である。
今は死語であります。
犀星の生みの母の匹婦は餓死したとの事。

1889年〈明治22年〉8月1日~1962年〈昭和37年〉3月26日
金沢地方裁判所の上司、河越風骨、赤倉錦風に俳句の手ほどきを受ける。
後に、新聞へ投句を始め、1904年(明治37年)10月8日付け『北國新聞』に初掲載。
以下、輝かしい歴史を・・・。
北原白秋に認められ白秋主宰の詩集『朱欒(ざんぼあ)』に寄稿。
ココで萩原朔太郎と親交をもつ。
1916年(大正5年) 萩原と共に同人誌『感情』を発行。
1929年(昭和4年)初の句集『魚眠洞発句集』を刊行。
1934年(昭和9年)小説『詩よ君とお別れする』を発表し詩との訣別を宣言。
1935年(昭和10年)、「あにいもうと」で文芸懇話会賞を受賞。 旧・芥川賞選考委員となる。
1941年(昭和16年)に菊池寛賞。
戦後は小説家としてその地位を確し、文豪の仲間入りをする。
1958年(昭和33年)半自叙伝的小説長編『杏っ子』は読売文学賞。
同年の評論『わが愛する詩人の伝記』で毎日出版文化賞を受賞。
1959年(昭和34年)古典を基にした『かげろふの日記遺文』で野間文芸賞を受賞。
1960年(昭和35年)、室生犀星詩人賞を創設。
1962年(昭和37年)、肺癌のため虎の門病院で死去。
金沢の犀川大橋から桜橋までの両岸の道路は「犀星のみち」として残る。

犀星は、超愛猫家だった。

写真の猫ちゃん、通称「火鉢猫」。
愛猫の名前はジイノ、日本で一番有名な「火鉢猫」なのだっ。
犀星は愛するジイノのために火鉢の管理と火の調整を怠らなかった。
ウッカリして愛猫が火傷をしたら大変ですからネ。
残念なことに、その後ジイノは家出してしまった。
犀星の落胆ぶりは相当なものだったらしく、家族には口癖のように言っていたそうである。
「ジイノは人懐っこいから絶対誰かに飼われているよ」と・・・。
金沢のしぐれをおもふ火桶かな

信濃路の餅の大きさはかりけり
新年の山重なりて雪ばかり
ひそと来て茶いれるひとも余寒かな
桃つぼむ幼稚園まで附きそひし
あんずの花かげに君も跼(かが)むか
靴みがきうららかに眠りゐたりけり
小春日のをんなのすはる堤かな
うすぐもり都のすみれ咲きにけり
行春や版木にのこる手毬唄
にさんにちむすめあづかりあやめ咲く
わらんべの洟もわかばを映しけり
沓かけや秋日に伸びる馬の顔
秋水や蛇籠にふるふえびのひげ
焼芋の固きをつつく火箸かな
木枯やいのちもくそと思へども
今宵しかない酒あはれ冴え返る
愛飲酒は金沢の「福正宗」だった。
犀星はあまり喋らずに、毎夜きまって二本の徳利をアケタという。
晩酌が終わる頃、詩人の竹村俊郎が誘いに来て、二人はいそいそと外へ飲みに出かけそうだっ。
軽井沢の葛巻義敏(芥川龍之介の甥)から栗を送られたときの礼状に書き添えた挨拶句。
栗ひらふひとの声ある草かくれ・「あぶないわ。」後書(添え書)
傑作ではないか。
本文はこうだ。
「栗たくさん有難う。小さいのは軽井沢、大きいのはどこかの遠い山のものならんと思ひます」
新竹のそよぎも聴きてねむりしか(芥川への追悼句)
「ジイノ」のフィギア。

室生犀星記念館で会えます→『室生犀星記念館HP』
ジイノの絵葉書なんてのも販売しております、はいっ。
詩はスペース的に無理でした、興味のある方は是非、犀星の詩集を・・・。
ヒヤシンス。
春の季語、漢字で、風信子(ふうしんし)or飛信子。
他、別名、夜香蘭、錦百合など。
学校の課題?観察日記だったかなぁ、水栽培やりました。
甘い香りと賑やかな花・・・地中海東部沿岸が原産で、江戸期に渡来。。
子供の頃、水栽培しかできない花だと思っていたらヨソの庭に咲いていてビックリ。
春の室内インテリアとしても良いですね。
名前の由来は、太陽神アポロンとのボーイズラヴで有名な美少年ヒュアキントスとか。

遺失物係の窓のヒヤシンス/夏井いつき

ヒヤシンスしあわせがどうしても要る/福田若之
思ひ切り悪き女やヒヤシンス/高澤良一
ヒヤシンス紫は祖母眠る色/入口久弥女
ヒヤシンス獣のやうに夜は届き/櫂未知子
ヒヤシンス空しか見えぬ窓なりし/麻生玲子

風の神ゼピュロスと太陽の神アポロンがヒュアキントスを取り合っいました。
風よりも太陽が好きヒヤシンス/小栗釣月
3/26・本日・【まさ子忌/まさこき】
本日、三月二十六日は、
俳人、鈴風(すずかぜ)まさ子女史の命日デス。

平成20年、大往生95歳。
我が人生の大先輩にして尊敬する句友・・・・淀風庵氏の母。
地元の句会の一会員とは思えない卓越した作風は驚嘆する。
まさ子女史亡き後、親族で手作りの遺句集を発行。
私の手元にもあり日々拝読して勉強させて頂いている。
山口誓子の弟子である三栗家高梢・羽田野迷々子・山崎龍に師事し、誓子を心の師としていた。
一のつく単語を好んで用い、分かり易い情景描写を得意とする作風は優しさに溢れている。
では、まさ子女史の春の句を幾つか。
春の日を海に沈めて月朧
花びらの白き池打つ花の雨
草餅や母とつくりし日も遠く
畦川の田螺動きて水温む
花傘となる満開の枝垂梅
まさ子女史が好んで用いた一のつく句を幾つか。
梅雨晴れに蜘蛛の巣掛けの一途なり
雛は皆一重まぶたよ子も一重
青一筋秋刀魚の刃意志強き
一幹の藤千畳敷の房垂らす
鴨群れ湖の一隅を黒くする
海一線今茜染む初日の出
鴨一陣動けば全陣動き出す
凩の山に一村張付けり
奇しくも、
心の師である山口誓子(誓子忌)も、本日(3月26日)が忌日である。
よろしければこちらへ→2020【3/26・本日・【誓子忌/せいしき】】
万緑に向かひて母の車椅子
紅ひいて白百合胸に母発ちぬ
母逝きて納骨の径風薫る
秋風や駅舎に手振る母は無く
四句共に、淀風庵氏の母に捧ぐ句。
淀風庵氏のブログ→【淀風庵の酒詩歌日記】
淀風庵氏のHP→【酒の詩歌句集】
合掌。