2021/04/30【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
一人で詠むのもイイのだけれども、ネ。
たまには、連衆と句会を楽しみたいのよ。
秋は、どうかなぁ。
さて、今月の俳句愛好会[幹]のテーマは、【春灯】でした、他、春の自由題。
投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は五月十日ごろまで送付します。
でで、次回の兼題の季語は、『蚕豆』です。
空豆・そら豆。
【先日、連衆のBlogに蚕豆の画像を発見、初物だそうだ。】
豆類の中で一番先に店頭に並ぶのがそらまめだ。
初夏の訪れを感じさせる食べ物の一つ。
莢が小さいうちは空を向くのでこの名がある。

また、莢の形が蚕に似ている為に、蚕豆とも書く、俳句では蚕豆で詠む事が多い。

酒処でのメニューには「天豆」の表示が多いかもネ。
この季語は、実際に食べて、美味しく詠んでいただきたいモノです。

では、例句。
そら豆はまことに青き味したり/細見綾子

そら豆と言えば、一番にこの句が浮かぶ・・・作者の代表句である。
『私はこの一句のために毎年そら豆をいち早く買ってくるんですよ』と作者は周囲に話していたとか。
子供の頃の隣家は大規模な家庭菜園?をしていた。
その畑で収穫したそら豆は、本当に「青き味」がしたんだ。
でも、その頃はそら豆をあんまり好きじゃなかった。
今は冷凍モノや流通の関係、もしくは品種改良?なのか?「青き味」など滅多にしない。
茹で上がった視覚としての【青】、食して味覚としての【青】、名句である。
そら豆やまだ割りばしのわられずに/久保田万太郎

いきつけの飲み屋だろう・・・お通しが旬の蚕豆なのだ。
作者は当然、箸ではなく指で直接つまみ食べるつもり。
前句は、視覚と味覚であったが、この句は【触覚】とたぶん【嗅覚】なのだっ。
そら豆をつまんで満足げに匂いを嗅いでいる幸せそうな作者、酒宴は始まったばかりだ。
そら豆剥(む)き終らば母に別れ告げむ/吉野義子

母と娘だ。
娘は夕餉の仕度を手伝っている。
昔、そら豆もご馳走だった。
その娘は遠く離れた都会で暮らしている、久しぶりに帰省したのだ。
数日ゆっくり過ごして明日からは仕事だ、これから帰らなければならない。
しかし、もう少し母と一緒にいたいとの思いが強く去りがたいのだ。
この字余りは、わざとだ。
つたなくさせているのだ、ゆえに、素直にギコチナク情感がゆっくりと溢れるのだ。
腹立ててゐるそら豆を剥いてをり/鈴木真砂女

作者は銀座の小料理屋「卯波」の女将だった。
恋多き人ともいわれたようだが・・・。
女性は突然怒り出す、と、言うのは男の感覚で、怒ると言うより溜まったものが溢れ出るらしい。
もちろん原因は男である、女心を理解できない男が悪いのである(笑)。
ワァ~ワァ~と叫んでいるウチまだ良いが、黙ってしまったら手に負えない。
そして、沈黙の中、女性は必ず何かをやり始めるのだ、脇目もふらず黙々と・・・。
そうなったら降参である、とにかく女神の怒りが鎮まるまで男たちは祈り続けるしかない(笑)。
大盛りのそら豆をひたすら剥いている作者、台所は青々としたそら豆の海だ。
上に七、下を十二で流す、いかにも怒っている感じがヨク出ている。
よき風によき蚕豆の塩加減/朝妻力

これは酒呑みの一句だろう。
仕事が終わり、一風呂浴びてきたのだ。
初夏の心地よい夕風だ、晩の膳にはそら豆と日本酒だろう。
茹でたてのそら豆、・・・・茹で加減は大事。
そして、もっと大事なのは塩加減でアル。
料理はすべて塩加減であると言っても過言ではない。
この句、そら豆が美味しそうで爽快感もある。
初夏が待ち遠しくなるなぁ。
そら豆の粒の数だけ笑ひあり/山田弘子

昔の家族の食卓だ。
大家族だ。
戦後ではないか?
とても裕福とは言えないが、すこぶる明るい夕餉だ。
家族が全員揃い今日も一日無事に終わったと話す。
古き良き時代だ。
子供たちが父親の晩酌のアテである蚕豆を『ちょうだい』しているのではないか。
懐かしい家族と旬の食卓を思い出させる一句。
他、夏の季語で自由題デス、締切は、五月二十九日です。
五月五日、立夏です。
歳時記は夏季となります。
4/30・本日・【荷風忌/かふうき】
色町や真昼しづかに猫の恋
うぐいすや障子にうつる水の紋
葉桜や人に知られぬ昼遊び
本日、四月三十日は、私が文学者として、最も尊敬する、永井荷風の忌日デス。

明治12年(1879年)12月3日~昭和34年(1959年)4月30日
代表作は、『ふらんす物語』・『墨東綺譚』・『つゆのあとさき』・『断腸亭日乗』などなど。
で、この写真こそが荷風らしい。

漱石も鴎外も国費で外国へ勉学に行った、しかし荷風は、米仏外遊であった、この差は大きいのだっ(笑)。
大人気作家の荷風が、女性にあまり評判がヨロシクないのは、荷風の相手の多くがプロの女性だったからかもしれませんね。
また、二度の離婚、そしてカナリ女性に対して薄情な風に思われている由。
私、思うに、男の本質は二つ・・・自己中心的な薄情者or利己的な変質者(ストーカー)でアルと(笑)。
権力に媚びない、そしてブレないその姿勢は戦中でも同じであった、ゆえに、戦後に熱狂的な再ブームを起こすコトになる。
谷崎との逸話やら、とにかく面白い話はメチャクチャ多いのだけれど、キリがないので、荷風に興味のある人はググって見て下さいネ。
【荷風忌】
独り身の自由が淋し荷風の忌/山田具代
荷風の忌墨東の川すぐ濁る/福島勲
荷風忌の踊り子がガムを噛む楽屋/伊藤黄雀
荷風忌の雲の移り気見てゐたり/吉川高詩
荷風忌や精養軒のオムライス/佐藤紫城
荷風忌を駱駝に乗りて遊びけり/有馬朗人
レッスンの脚よくあがる荷風の忌/中原道夫
牛鍋てふ店まだありし荷風の忌/斎藤由美
荷風忌の近しひそかに潮上げて/片山由美子
荷風忌の午後へ踏切渡りけり/宮崎夕美
荷風の忌着崩れしまま水茶漬/小栗釣月
では、荷風の春の句を幾つか。
深川や花は無くとも春の水
傘ささぬ人のゆききや春の雨
昼寄席の講釈聞くや春のあめ
行春やゆるむ鼻緒の日和下駄
辞世句はいくつも説があるんですが、私が好きな句を。
【紫陽花や身を持ちくづす庵の主】

マジ、あやかりたい〈笑〉。
で、最後に、戦時中の昭和十五年、俳句弾圧事件の最中に、高浜虚子を中心とした俳人たちが軍部の体制に迎合して結成した、「日本俳句作家協会・1940年12月21日設立」に対しての、荷風の辛辣な批判を、『断腸亭日乗』の原文のママここに引用したい。
俳句を詠むすべての人はこの言葉を心に刻むべきであると思う。
ちょっと長い文章であるが是非読んでいただきたいのであります。
昭和15年(62歳)十二月廿二日。日曜。晴。
前文は省略。
世上の噂をきくに、発句(俳句)をつくるものども寄り合ひて日本俳家協会とやら称する組合をつくり、反社会的また廃頽的傾向を有する発句を禁止する規約をつくりし由。この人々は発句の根本に反社会的のものあるを知らざるが如し。俳諧には特有なる隠遁の風致あり。隠遁といひ閑適と称するものはこれ即ち発句独持のさびし味なり。即ちさびなり。もしこれを除かば発句の妙味の大半は失はれ終るべし。芭蕉の生涯と、その吟詠と文章とを見なば今更片言隻語を費すの要なし。現代の日本人ほど馬鹿ゝゝしき人間は世界になし。
いやぁ~、さすがデスね~キッパリ言い切りますネ~(笑)。
この、続きは是非、、『断腸亭日乗』で・・・。
で、荷風終焉の地、市川にて毎年五月に行われる荷風忌のイベント。
昨年の第12回荷風忌はチャイナコロナ(武漢肺炎)の影響により中止となりました。
本年も無理だろうなぁ、残念。

四月も終わるか・・・四月尽。
4月30日~七十二候・その18[牡丹華/ぼたんはなさく]
はなびらに風添へてあり牡丹売り/田口武

二十四節気の穀雨・末候、牡丹華。
牡丹の花が咲き始める頃・・・。
『丹』は赤を、『牡』はオスを表す漢字、強烈な赤い花の意味であるそうな・・・。
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」
実は、牡丹の季語は、【夏】であります・・・これからであります。
私の地元などはまだ蕾もありませんぞよ。

薬草として中国から伝わった牡丹ですが、平安時代には宮廷や寺院で観賞用として栽培されました。
今日、夏の花の代表でしょう、俳句や短歌はもちろんの事、日本画など芸術モノのテーマとして多く使われています。
もちろん、本家?の中国では、国の代表花として牡丹があげられ、数え切れないほどの逸話や美術に登場します。
格調高い姿、甘く上品な香りゆえ、褒め称える異名も多し・・・、「富貴草」・「百花王」・「花王」・「花神」・「天香国色」・などなど。
牡丹の花は二十日ほど楽しめることから「二十日草 /はつかぐさ」の名も持ちます。
ちなみに牡丹の花言葉は「王者の風格」であります。
では、牡丹の蕾にて・・・。

夫の忌に玉の蕾の牡丹かな/山城やえ
牡丹蕾む家に嫁の荷届きけり/高田幸枝
蕾より紅唇覗く牡丹かな/都留嘉男
つんつんと尖る牡丹の蕾かな/高倉恵美子
紅淡き牡丹の蕾ほぐれ行く/岡田麻枝
恋牡丹蕾のままに四月過ぐ/小栗釣月

薔薇と牡丹は詠みにくいネ。