八月尽。
秋の蝶Ⅰ。
2021/08/30【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
春先から月二回のペースで行ってきたLIVE。
夏には月一回に、そして、今月からゼロになってしまいました。
で、、、ライヴは置いといて、と。
連衆の皆さんと句会を開催できる日は来るのでしょうか。
ちなみに、私は二回のワクチン接種完了いたしました。
でで、今月の俳句愛好会[幹]の兼題は、【西瓜】でした、他、夏と秋の自由題。

投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は九月十日ごろまで送付します。
さて、次回の兼題は、秋の壮大な季語、『天高し』です。

「天高く馬肥ゆる秋」
この言葉の出典は、杜審言(としんげん)の有名な詩『蘇味道に贈る』デス。
「雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」
くもきよくしてようせいはおち、あきはたかくしてさいばのこゆる
北地寒応苦,南庭戍未帰。
辺声乱羌笛,朔气卷戎衣。
雨雪関山暗,風霜草木稀。
胡兵戦欲尽,漢卒尚重圍。
雲淨妖星落,秋深(高)塞馬肥。
据鞍雄剣動,挿筆羽書飛。
輿駕還京邑,朋游満帝畿。
方期來献凱,歌舞共春輝。
ちなみに、あの高名な杜甫は杜審言の孫です。
『天高し』、『天高く』、今回はこの二つで詠んでみましょう。
空気が澄み晴れ渡った秋空が高く感じられる季節。
気持ちの良い秋晴、お腹もすいてきたぞぉぉぉ(笑)、と、詠んでみましょう。
ただし、食欲やグルメ系などの比喩はNGですよ、月並みとなります。

では、例句です。
いずこにも龍ゐる国の天高し/有馬朗人
これは、上記の杜審言の詩へのオマージュ。
いずこにも龍いる国とは、もちろん古代チャイナの事。
古の大陸を想い詠んだスケールの大きな句です。
天高し天使の悲鳴呑みこんで/小長谷清実
晴ればれとした穏やかな秋空に天使の悲鳴が響いている。
何事なのか黙示録の終焉が訪れたのか尋常ではないのだ。
もしかすると震災への警告かも知れない。
悲鳴は秋の空が高いゆえになかなか消えないのだ。
天高し洗濯機の海荒れてゐる/日原正彦
作者は高名な詩人でもある。
この洗濯機は高層マンションのベランダに置かれているのだろう。
ゆえに作者は既に空に近いところにいるワケなのです。
洗濯機は荒海の如く大きな音を立てている、水飛沫さえも起こっている。
人工の小さな海、壮大な秋の空、俳句くさくない詩人の一句。
天高く尻尾従へ猫のゆく/土肥あき子
愛猫が秋晴にノホホンと歩いている。
と、言う、句ではありません、念のため(笑)。
猫は調子が良ければ年に三度も盛るらしいですね。
ま、普通は、春と秋の二回、春の盛りは猫の恋と言う季語です。
この猫は勇ましく秋空の下恋のバトルに征くのです。
天高く事情聴取はつづきをり/櫂未知子
こちらも清々しさと不穏の組み合わせ。
秋空の下事情聴取とはいかなる状況なのだろう。
実際のモノではなくテレビドラマか映画ではないのか?
作者は短歌結社「竹柏会」(歌誌「心の花」)に入会していた。
現在は、中原道夫先生の「銀化」同人、さもありなん。
天高し歩くと道が伸びるなり/池田澄子
空が澄んで高ければ、道は自ずから伸びてゆくもの。
地球は丸い何処までも続いてゆく歩みを止めない限り。
この句は無限を詠んでいるのです。
下五から、また、上五へと戻ります。

他、夏・秋の季語で自由題デス、締切は、九月三十日です。
え~、秋高くして塞馬肥ゆ。
チャイナでは、季語のような爽やかな意味ではなく、
漢民族と北方騎馬民族との熾烈な戦いの意味となります。
詳しく知りたい人は調べましょう。
桐一葉(きりひとは)。

桐単体では季語ではアリマセン(桐の花は初夏の季語)。
その葉が一枚、一葉、落ちるコトで初秋の季語となります。
出典は、チャイナの古典「淮南子(えなんじ)」で、「桐一葉落ちて天下の秋を知る」に由来して季語となりました。
やや大袈裟ではありますが、古代チャイナとはそう言うトコでありまして・・・。
まぁ、桐に秋の初めを知らせれた?なんて意味で良いのではないでしょうか。
敦盛の小枝の響き桐一葉/小栗釣月

桐一葉一葉一葉の空仰ぎけり/種田山頭火
地に落ちても水に落ちても桐一葉/山口青邨
日の古びまぎれもなくて桐一葉/上田五千石
桐一葉落ちて心に横たはる/渡辺白泉
桐一葉影よりも音残しけり/鷲谷七菜子
直家(なおいえ)は二心(にしん)に非(あら)ず桐一葉/小栗釣月

『禅思想史講義』を読む。
『禅思想史講義』小川隆著。

久しぶりに宗教関連の本を読む。
この本はじっくりゆっくり読んで血肉としたい。
そもそも、私は、禅とは縁が深い。
まず、我が家は先祖代々、曹洞宗(そうとうしゅう)であり、禅の三大宗派であります。
ちなみに、他は、臨済宗(りんざいしゅう)と、黄檗宗(おうばくしゅう)となります。
他、普化宗(ふけしゅう)がありまして、時代劇にヨク出て来る虚無僧がそうです。
江戸期には家康の保護を受け組織化(隠密活動など)されますが、現在は臨済宗に編入されています。
さて、残念ながら私の代で墓仕舞いとなるので、
仏教とのご縁も消えてしまいますが・・・禅との縁は消えません。
また、バブルの時期、東京本社でビジネス禅の大家、赤根祥道先生の研修があり、
私が代表としてお礼状を書いて送ったら、赤根先生から私宛に額に入った書が送られてきました。
そこには、【無常、いささかも、忘るべからず】とあり、今でも私の部屋の壁に掛かっています。
さらに、私の俳句の師の雅号は、『風幡亭主人』であります。
雅号として有名なのは、正岡子規の「獺祭書屋(だつさいしょおく)主人」でありますが・・・。
我が師匠の『風幡亭主人』の【風幡】は、当然、あの有名な公案(禅問答)の<<非風非幡>>から来ているハズです。
師匠には聴いたことはありませんが確実でしょう、師の禅の、特に公案集(無門関や碧巌録)の知識とその理解力に、私は一生足元にも及ばないのです。
人生の大先輩に、『目からウロコの思いをしました』と、言わしめた本。
暫く、夜の友になってもらいます。