馬追(うまおい&すいっちょ)。
すいつちよの鳴き茶畑のふくらめり/栗原梅子

鳴き声が、馬子が馬を追う声のように聞こえることから名づけられた。
林の馬追と畑の馬追二種あり。
馬追の鳴き声→[ウマオイの鳴き声]
馬追や誰も降りない無人駅/小栗釣月

馬追ひの影ひえびえとしたがへり/木下夕爾
馬追の障子一重に母の影/長田等
馬追の飛び損ねたる広辞苑/山田健太
馬追の厨に腰を落としけり/小栗釣月

すいつちよが来て眠るなよ眠るなよ/大畑善昭
すいつちよを一泊させし夫の靴/白神知恵子
すいっちょのちょの音の抜けて鳴き通す/近藤豊子
すいっちょに都市の匂ひを叱らるる/小栗釣月

馬追を追ってギターを弾きはじむ/小栗釣月
鶏頭論争。

鶏頭の十四五本もありぬべし/正岡子規

鶏頭のうしろまでよく掃かれたり/高浜虚子

鶏頭でアル必然性は何か?
なぜ?十四五本?…十七本でもイイじゃん(笑)。
も・ありぬべし、ココもオカシイ?
とにかく、昭和20年代ごろに、大論争にナッタわけ。
子規庵の句で詠まれた鶏頭は、中村不折から贈られ実際に庭に植えられていた鶏頭です。
で、この句。
歌人長塚節と斎藤茂吉が称賛し、弟子の虚子が黙殺した。
その後、有名な擁護派は、山口誓子、西東三鬼。
中立?派は、、評論家の山本健吉。
「子規の鮮やかな心象風景を示している」と高く評価はしていますが…。
「鶏頭の句は駄作」と、言い切ったのは、坪内稔典氏。
子規の人生までを汲み取って読めとは、う~ん、無理があるような・・・。
鶏頭論争。
未だ終着せず。
江国滋が「有名な水かけ論争」と評したそうですが…。
私は、坪内稔典氏へ一票であります、皆さんは如何か?
俳句の評価と解釈はなんと難しいものなのでしょうネ。
これは、十七文字の短詩系の宿命であります。