『月白(つきしろ)』。

月白、月代とも書く。
いわゆる、秋の季語、月の傍題です。
で、月が東の空に昇るのを前に、空がだんだん明るく仄かに白んでいく様子の事。
ゆえに、月・白。
月白や母の記憶の薄れゆく/小栗釣月

この現象、秋に限るワケではありません。
が、十五夜様の出待ちの、月見客の焦がれた気持ちとして詠むのが一番。
まだか、まだかと、東の空を見つめながら…ネ。

月が出たら乾杯しようなどと言いながら待つ…、月の宴のプレリュードです。

月代の戸口にゐたり聖書売/辻桃子
月代やまだ温かき父の顔/苑実耶
月しろや灯して船の発ちにけり/尾辻のり子
月白の妻亡きあとの厨かな/金子輝
月白や迫りくるなり山容/大野信子
月代や岸四五本の木立かな/豊田都峰
初七日の過ぎて月白拝みける/小栗釣月

くもりなきひとつの月を持ちながら浮世の闇に迷いぬるかな/一休宗純
この歌の月とは仏の事であります。
日本とはアニミズムの一番昇華した国でしょう。

さて、来週の21日(火)は、中秋の名月です、楽しみですね~♪
指折り位数えて待ちます(笑)。
私の地元は、晴~曇の予報、晴れて欲しいものです。
9月18日~七十二候・その45[玄鳥去/つばめさる]
ある晴れた日につばくらめかへりけり/安住敦
ゆく雲にしばらくひそむ帰燕かな/飯田蛇笏

二十四節気の白露・末候、玄鳥去。
春に日本にやってきた燕が、子供を産んで育て、一緒に南へと帰っていく頃・・・。
季語としては、一般的に燕帰るとして詠む、他、帰燕、秋燕。

落日のなかを燕の帰るかな/与謝蕪村
ある朝の帰燕高きを淋しめり/鈴木真砂女
ものを買うのぞみあまたに帰燕の日/飴山實
中天に帰燕大浪くつがへるさま/山口青邨
しかしながら、日本で生まれた燕は、帰るのではなくて、古い季語の【燕去る】もしくは、【去(い)ぬ燕】、が、正しいのではと思う。
人妻の袂の丸み燕去る/三橋鷹女
燕去り藻ぬけの殻の巷かな/波多野爽波
燕去りあららぎの実の散つてなし/藤田湘子
むらさきの山河残して燕去る/鷹羽狩行
蒼天の黒き一穴燕去る/小栗釣月

昔は、燕が常世国(とこよのくに・天上界の理想郷)から来るのだと信じられていました。
ゆえに、燕が巣を作るのは、吉兆ゆえであり、商家は商売繁盛となると大喜びしたんですネ。
雀同様に燕も年々減少しています、寂しい限りです。