糸瓜忌。
糸瓜忌や大観峰に風を聴く/山田弘子

結核で夭折した子規。
享年36歳。
『脊椎カリエス』による激痛と、
咳、痰、喀血に、最後まで苦しんだ。
当時は、へちまの液が痰を切る妙薬と言われ、
子規の庭では、へちまを育て蔓を切ってへちま水を取った。

陰暦八月十五日の中秋の名月の晩に採った、
へちま水の効能が特に良いとの言い伝えがある。
子規の辞世の句は、すべてへちま。
『へちま三句』と、呼ばれる。
~糸瓜咲て痰のつまりし仏かな~
~痰一斗糸瓜の水も間に合わず~
~をととひのへちまの水も取らざりき~
をとヽひ=一昨日(おととい)は、十五夜だったのです。
この三句をもって、
子規の命日は、『糸瓜忌』とも呼ばれます。
子規庵の糸瓜デス。

『糸瓜忌』
糸瓜忌の紅茶に消ゆる角砂糖/秋元不死男
糸瓜忌や月に結句を盗まれて/福原知子
糸瓜忌や底見えそめし江戸疎水/武岡東西
糸瓜忌の影を重ねし糸瓜かな/野口みどり
糸瓜忌の水の重たき峠越/飯島士朗
糸瓜忌や足の踏み場もなき書斎/岩岡中正
糸瓜忌やミルクココアを甘くして/小栗釣月

子規の随筆を読むと、ココアは毎日の食卓に登場します。
牛乳一合、ココア交(まぜ)て、と、ある。
今夜はマシュマロココアを飲みながら子規の随筆でも読むかな。
合掌。
9/19・本日・正岡子規の忌日【子規忌・糸瓜忌・獺祭忌】
しかし、できた駄句は捨てずに書きとめておかねばならない。
自分のつくった句を粗末にして書きとめておかぬひとは、とてものこと、一流の作者にはなれない。
いくたびも雪の深さを尋ねけり
松山や秋より高き天主閣
萩咲て家賃五円の家に住む
月一輪星無數(むすう)空緑なり
柿くふも今年ばかりと思ひけり
漱石が来て虚子が来て大三十日
本日、九月十九日は、正岡子規/まさおかしきの忌日です。

1867年10月14日〈慶応3年〉~1902年(明治35)9月19日
「子規忌」「糸瓜忌」、また雅号から「獺祭忌(だっさいき)」とも・・・・。
近代俳句、短歌、などの短詩系の不滅の大改革者。
さらに、評論、小説、随筆、詩、庶民の作文や日記などの、近代日本語ならびに文法を確立した、とてつもない偉人です。
日本文学界の不世出の努力の天才です。
子規がいなければ、現代の俳句、短歌、そして近代日本語はなかったでしょう、恩人と言ってよい。
我々は子規に大いに感謝しなくてはなりません。
私個人の意見として、お叱りを承知で言うならば、芭蕉よりも俳聖と呼ぶにふさわしい人物だと思っています。
東大予備門では夏目漱石(親友)・南方熊楠と同窓デス。
また、野球の普及に貢献したとの評価で、2002年(平成14年)、野球殿堂入りを果たしています。
夏草やベースボールの人遠し
*墨汁一滴
*病床六尺
*仰臥漫録
上記、子規三部作は、是非、お読みいただきたい。
m(__)m
有名な俳句雑誌『ホトトギス』は、柳原極堂が最初は松山で発行しました。
雑誌名は、「子規」にちなんだもので、創刊時はひらがなで『ほとゝぎす』と言いました。
【子規忌】
いとなみて月夜ばかりの子規忌かな/飯田蛇笏
さび鮎をつつく宵得し子規忌かな/石田波郷
子規忌すみあと話しゐる萩の雨/松本たかし
供へある柿の大きな子規忌かな/深見けん二
山々が近づいてくる子規忌かな/坪内稔典
ココアとく匙まで溶けて子規忌かな/塩見恵介
月祀るごとくに子規をまつりけり/深川正一郎
子規忌なりいまは美顏に使ふ水/中原道夫
八重のうつしゑ律のうつしゑ子規忌かな/江木紀子
痩せ畑に鶏頭四五本子規忌かな/伊藤和枝
耐へることそれも学ばん子規忌かな/福井鳳水
角田川柿流れゆく子規忌かな/小栗釣月
子規、辞世の句を・・・。
「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」
「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」
「をとゝひのへちまの水も取らざりき」
松山市子規の俳句・24,000→[季語別子規俳句集]
松山市立子規記念博物館→【松山市立子規記念博物館HP】
子規曰く、
世間恐るべきは猛獣毒蛇にあらず、壮士暴客にあらず、ただ勉強家と沈黙家と謙遜家とのみ。
私は勉強家を目指したい。
合掌。