KK氏には、やさしさと思いやりはあるのか?
小学校用の教科書のために書き下ろした文章がある。
有名な【21世紀に生きる君たちへ】だ。
その名文の一部を引用した、少し長いが読んで欲しい。
助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「やさしさ」
「おもいやり」
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
みな似たような言葉である。
これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。
根といっても、本能ではない。
だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならない。
その訓練とは、簡単なことだ。
例えば、友達がころぶ。
ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分でつくりあげていきさえすればよい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
私は二人の娘にこの訓練を実行した。
上手くいったかは、正直ワカラナイ。
そして同時に想像力を伸ばす努力もした。
小さい娘たちが、その事をどれだけ理解できたのか?
それもワカラナイ。
人の痛みがワカル、それは、訓練と同時に、想像力がなくてはならない。
痛がっている人に対して、どうやって痛みを和らげるのか、何を与えられるのか、どんな言葉をかければ良いのか、すべては想像力だ。
そうすれば心の痛みにも対処できるはずなのだ。
さて、KK氏は、やさしさの訓練を受けていたのか?
また、その努力はしたのか、甚だ疑問だ。
なぜなら、眞子内親王殿下や皇族方に対する配慮が感じられないからだ。
私は、KK氏の言葉や態度から、利己的、野心家、不誠実、の言葉しか浮かばない。
KK氏は、自分の行動のすべてが、皇室の今後に大きな影を落としている事を想像できないようだ。
ゆえに、KK氏は、他人の痛みを感じる事ができないと思える。
そのことを本能で感じとっていた大勢の人々がこの結婚に反対をしてきた。
当然の事。
今、私が願う事は、もはや遅いとは思う。
が、しかし、KK氏には、「他人の痛みを感じること」の訓練を望む。
そうでなければ、眞子内親王殿下が、お幸せになれるとは思えない。
眞子内親王殿下が、あの態度を直接的に受け、お苦しみになるのではないか…と。
また、結婚報告の記者会見を眞子内親王殿下が、
お一人でお話になるのでは?と、とても心配なのだ。
さらに、彼の地には、多くの問題と誘惑がある。
利用しようと手ぐすねを引いている国や組織が存在するのも事実。
残念だが、ただただ、祈るばかりだ。
9月28日~七十二候・その47[蟄虫坏戸/むしかくれてとをふさぐ]
みのむしの音をききにこよ草の庵/松尾芭蕉
枕草子では、秋風吹けば父恋しと蓑虫が鳴く(泣く)と・・・。
この話から「蓑虫」は秋の季語に、秋に蓑を作るセイもあるか。
二十四節気の秋分・次候、蟄虫坏戸。

虫達が冬眠の準備をはじめる頃。
啓蟄の初候「蟄虫啓戸 (すごもりのむしとをひらく)」と対になっています。
で、枕草子の蓑虫が鳴くの続きですが、蓑虫には発声器官などはナイ、ゆえに本当は鳴かないわけだっ。
では?どの虫と誤解されたのか?と言う事なんですが、通説ではカネタタキの鳴き声と言われていますが、さてさて。

蓑虫の父よと鳴きて母もなし/高浜虚子
鬼の子に虚子一行の立ちどまる/岩永佐保
糸長き蓑虫安静時間過ぐ/石田波郷
蓑虫や天よりくだる感嘆符!/小沢信男
落日に垂る蓑虫に刺客の目/千代田葛彦
蓑虫を無職と思う黙礼す/金原まさ子
蓑虫の泣き声待って陽の暮るる/小栗釣月

え~、春、蓑虫のオスは羽化して蛾となり、蓑を離れますが、メスは一生を蓑の中で過ごしヤス。
近年では絶滅危惧種に指定されていますネ。